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本に愛される人になりたい(89) 檀一雄「漂蕩の自由」

 もの心ついたころから、じっと静かにしていられない性格のまま現在に至ったなぁと思っています。現代なら多動症的だなどとカテゴライズされ、生真面目で社会的な価値判断という物差しで子供を測り、スマホで対処法などを調べたりするのでしょうが、昭和の時代はもっと寛容で、大筋さえ理解しているなら大人たちは私を自由にしてくれたようです。人間としてやってはいけないことをしっかり教える良い時代でした。たぶん、大人たちも生きることに精一杯で、いちいち細かく子供のことを構っていられなかったのもあったかもしれません。
 そんな少年期・青年期を過ごすなか、本を読むのは大好きで、休日には日がな一日、朝から夜まで本を読んでいることも多々ありました。多動症的なのに読書だけはできたの?と不思議に思われるかもしれませんが、本の世界に没頭していると自分の知らない世界が広がるのがとっても楽しかったのです。つまり、脳内の想像の世界を自由に飛び回る楽しみを読書にみつけたわけですね。
 高校生のころに出会ったのが檀一雄さんで、国内外をぶらつく彼のエッセイの世界に引き込まれました。本書「漂蕩の自由」は、彼の「来る日去る日」、「風浪の旅」、「老ヒッピー記」を底本に編まれたアンソロジーで、2003年に発行された文庫です。2003年に駐在地のロサンゼルスから帰国したある日、ふらりと立ち寄った本屋さんで見つけるや、旧知の友に突然出会った喜びのような感情が湧き上がり、すぐに手にとりレジに行ったのを覚えています。
 檀一雄と言えば「無頼派」の流れにある作家で、第二次世界大戦後に、従来の近代文学の流れを批判するような形で現れた潮流の一人で、坂口安吾、太宰治、織田作之助…色川武大、中上健次や伊集院静などもその潮流ではないかと思っています。
 個人的にも無頼派系の小説家が好きだったのもありますが、檀一雄さんの国内外へと大きな興味を持ち、その身を投じるスタイルや、とはいえ変に意気込むことなくその地を感じとる嗅覚というかセンスに十代のころから惹きつけられてきました。特に、ポルトガルのサンタ・クルスという町に住んでのエッセイはたまらなく好きで、数年に一度は読み返しては、「良いなぁ」と心の世界観を広げる私です。
 2019年からぼちぼちと小説を書き始めている私にとっては、檀一雄という一人の男の生き方から学ぶべきことが多々ありますが、とはいえ真似をして生きようなどとは思ったことがありません。彼の人生と私の人生はまったく違うわけですから。とはいえ、昨年10月、長年住んだ東京・世田谷区から湘南・片瀬海岸に引っ越すことで、日常生活を送る基盤を変えました。人生15回目の引っ越しとなり、我ながら苦笑しましたが、身を置く土地を変えることは私にとっては、檀一雄から学んだある精神的な景色に新たに触れることではないかと思っています。本で描かれる世界や実人生での世界で、漂蕩の自由をこれからも楽しんでいければ幸いです。中嶋雷太
 
 

 
 
 
 

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