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本に愛される人になりたい(13)「売茶翁の生涯」
ここ数年、下北沢界隈を散歩していると、コーヒー専門のキッチンカーや一坪ほどのカフェが増えてきたようで、カフェ文化が根強くある京都に生まれ育った私にとり、コーヒーをカジュアルに楽しめる文化が広がり根づいてきたのは嬉しい限りです。
さて、今日は売茶翁について。
大学院を終え、佃一輝さんの「煎茶の旅」という書籍編集に携わったとき、売茶翁という人物を初めて知りました。
煎茶を楽しまれている方はご存知でしょうが、売茶翁こそ煎茶の祖で、1675年に生まれ、1763年に亡くなられた人物です。同時期には、池大雅や伊藤若冲などが活躍しており、売茶翁が86歳のとき、伊藤若冲は相国寺に「動植綵絵」を寄進する直前、この絵を売茶翁に見てもらい、揮毫を添えてもらったという逸話もあります。
肥前に生まれ11歳で得度し、京都の萬福寺などで禅宗の修行をしますが、50歳台になり漂泊の僧侶として暮らします。そして60歳になり、京都鴨川二の橋辺りで「通仙亭」を営み、売茶翁という号を名乗ります。その後、生まれ故郷の肥前や京都各所に移り住みながら、京都の景勝地で茶店を開き、煎茶を売り歩きます。そのお茶代も飲む者に委ねるという、茶禅一味という宗風を開きました。そして、81歳になり、長年愛用していた茶道具をすべて、突然焼却します。
売茶翁が最後に茶道具等を焼却したその心に触れ、私はこの人物をもっと知りたくなり、彼が書き残した「梅山種茶譜略」などを読んでは、その心の奥底を見つめ続けていました。そして、2016年、ノーマン・ワデルさんの「売茶翁の生涯」に出会い、題名どおりの、その生涯を学ぶ機会を得ることができました。
昨今思うに、齢を重ねると人は老成し、物事を広く深く、そして静かに考えるものだと思っていましたが、残念ながら、物事を狭くしか見えず、思考も硬直し、誰かが作った借り物の言葉で、物事を安易に断罪する老いた人が多くなってきたように思います。
散歩途中で出会うキッチンカー・カフェや一坪カフェに出会うたび、売茶翁が残した、その心を思い出しては、笑みを浮かべ、行きつけのカフェへと歩を進める私がいます。中嶋雷太