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私の「美」(20)「お茶碗」

 お茶碗について語りだすと、延々と語れそうで危険だなぁと思っていますので、今日は、一服の煎茶のお話だけに留めておきます。
 社会人の最初の仕事は一般書籍の編集者で、新人の私を鍛える為もあってか、仏教の歴史や前茶の話など、かなり抹香臭い書籍のサブ編集を担当させられました。最初は嫌々ながら、とはいえ仕事なので、仏教やお茶の資料を集めて読み込み、著者の世界観についていこうと必死になったのを覚えています。
 ある煎茶の資料を読んでいたときに出会ったのが売茶翁(1675年〜1763年)でした。黄檗宗の僧侶で、煎茶の中興の祖とも呼ばれる人物です。煎茶道具一式抱え、京の街を歩き、煎茶一服を供し、晩年には煎茶道具をすべて破棄したという逸話に、「お!」と驚きました。煎茶の形式が固まり煎茶道具を珍重する世の流れに、本来あるべき禅のありようを示すべく、煎茶道具を破棄した売茶翁の最晩年の生き方に感銘をうけました。伊藤若冲、池大雅や与謝蕪村らの文人たちとも親交があった売茶翁の芸術や文化に向き合う姿が、現代にも強烈な光を差し込んでいます。売茶翁については、2016年に出版されたノーマン・ワデル著『売茶翁の生涯』(思文閣出版)がとても良い本なのでぜひお読みください。
 20歳も超えてから煎茶の世界を知った私なので、それまでは気楽にお茶を飲んでいたのですが、振り返ると、純粋京都人(応仁の乱の前からの家系)だった祖母のお茶にも、売茶翁の何かが宿っていたように思います。
 日常使いのお茶碗は、祖母がどこかで買ってきたもので、幼稚園児だった私にも大人が使うようなしっかりしたお茶碗を与えてくれました。プラスチックなどの素材の幼児用などではありませんでした。お茶の葉ひとつにしても、お茶専門店で買っていたようで、玉露好きな祖母のおかげで、まったり甘い玉露ばかりでした。カフェインなど祖母の頭にはなく、幼児であっても美味しい玉露を飲ませようとしていたのでしょうが、コカコーラやファンタを飲みたい私でした。
 やがて、ペットボトル文化が押し寄せてきて、炭酸飲料水や麦茶やミネラルウォーターが主流となり、祖母が教えてくれた家庭の煎茶文化はどこかに消え失せました。
 時が経ち、掌に温かい煎茶に出逢うことがあります。虚飾を削りとったお茶碗の温もりを感じつつ、その重くもなく軽くもない、あるがままの魂の重さが感じられるお茶碗、そして一服の煎茶に、懐かしくもこれからも続く新しい美を感じる私です。中嶋雷太

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