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悲しきガストロノームの夢想(41)「九条葱」

 京都の実家にいた子供の頃は、葱といえば九条葱でした。直径2センチぐらいで青い部分を主に食する葱で、内側には毛のようなものがびっしり詰まっていて、鼻を近づけるとプンとガス臭い葱でした。ところが、調理するとトロリと甘くなり、気づけば子供ながらも九条葱好きになっていました。
 1980年代に入ると色々なスーパーが出店し、八百屋さんという個人商店がどんどん消えてゆき、一方で、全国からの様々な葱がスーパーで売られ始めました。さらに、1980年代の終わり頃、私が東京へと移住したこともあり、私の葱感はスーパーの戦略に合致して標準化されていきました。いわゆる万能葱が標準であるという食材感覚を持つことになりました。
 1990年代に入ったころだったか、突然「京野菜ブーム」というのが広がり、私が住む世田谷区の近くのスーパーでも京野菜コーナーなるものが設けられ、赤い人参や九条葱など、私にとっては日常にあったなんでもない野菜が高価な値段で売られ始めました。
 さて、問題は九条葱です。
 ある日、会社の近く、赤坂の某ラーメン・チェーンへランチに行きました。そのチェーンは京都に本店があり、チェーン展開する前から、本店には足繁く通っていたのですが、その日は「九条葱たっぷり」のラーメンが売りというポスターが掲げられていたので、それを注文しました。
 ところが、久しぶりに、たっぷりの九条葱が味わえると期待していた私の目の前に現れたのは、いわゆる万能葱のように細くて無味無臭の葱でした。京都で栽培された葱なのかもしれませんでしたが、どのように考えても私の知っている「九条葱」ではありませんでした。アンケート用紙があったので、もちろんコメントを残しました。
 それからです。
 スーパーなどで「九条葱」として販売されている葱があれば、手に取り調べてみましたが、ほとんどがこの万能葱的なものでした。細くてひよひよしていて、内側にびっしり詰まる毛のようなものが見当たらない葱でした。おそらく、私が知らぬ間に、「九条葱」という概念は変更されたのだと思います。
 もちろん、京都の九条葱生産農家にしてみれば、全国でより広く消費されるために品種改良に頑張られたのだと思われ、それに対してどうのこうのと言うのは申し訳ないのですが、伝統的な京野菜という売り文句からかなり逸脱してはいないかとも思ってもいます。
 すき焼きをするときは、私がいうところの九条葱を山ほど入れ、くつくつ煮て、甘くてトロリとした味わいを楽しみたいと、つとに願っています……。中嶋雷太

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