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本に愛される人になりたい(8)「輝ける闇」

 茅ヶ崎市といえば加山雄三やサザンオールスターズなのかもしれませんが、もう一つ、開高健さんが終の住処を構え、現在は開高健記念館があります。実は、茅ヶ崎に住む知人との呑み会ついでに過去何度か訪れたのですが、毎回閉館しており、未だ中には入れずにいます。
 私の十代に影響を与えた小説家のひとりがこの開高健さんです。現在のように、無慈悲な戦争が日常にあり、しかもヨーロッパではなく、南アジア・ベトナムということもあり、世の中は反戦運動で彩られていた感があります。当時、小学生の私は、父が観るテレビの報道番組や手にする新聞記事を覗きこみ、日々報道されるベトナム戦争の現況を学んでいたのを覚えています。小学生の知力では充分理解できなかったはずですが、父が要約し教えてくれていたはずです。実際戦地に立った戦場体験者である父の要約は、戦地に立たず生活を保障され、日本の政治のバランスの上でしか語らぬマスコミから漏れる言葉より、リアリティがあったと、かすかに記憶しています。戦後アメリカ文化を享受し、アメリカは「善」だという漠然とした価値観を抱えていましたが、それらがボロボロと崩壊していくのを感じていたようにも思います。
 小学校高学年だった私が本屋で買ったのが、「輝ける闇」でした。1968年に出版されたようなので、現在の小学生と比べるとかなりませていたようです。
 ベトナム戦争従軍記者である主人公の一人称で語られる本作品に接し、自分が持っている安易な「善悪」感が崩壊したように感じたのを覚えています。緊張感溢れる戦闘の場に身を置いた主人公は、奇跡的に死から免れますが、そして戦争との距離感や捉え方の変貌は、ベトナムという戦地から遠く離れ住む小学生の私にも、ヒリヒリと伝わってきました。昨今、愛着願望的な「個」の心情に固執することが良しとされる時代になってきたかと思いますが、本作品では荒れ狂う環境(社会)というリアリティも含めての「個」が語られ、しかも筆致はささくれそうな心情にピタリと寄り添った荒々しいもので、両親に守られて生きている小学生の私にとり、良い勉強になったと思います。
 後年、ベトナムのサイゴン(ホーチミン)を訪ね、開高健さんが常宿としたマジェスティック・ホテルに泊まったことがあります。彼の部屋の外にはプレートが壁にあったはずです。屋上のバーで、スコッチの水割りを楽しみながら、ホテルの前を流れるサイゴン川の渡し船をぼんやりと見つめていました。渡し船が到着すると大量の人が吐き出される様子に、ベトナム戦争を乗り越えた人々の生きる力を感じたものです。一方で、ロサンゼルス事務所所長をしていたころに出会ったある老弁護士と会食していたときの「実は、ベトナム戦争終結のころ、最後にベトナムを離れる軍艦に搭乗していた」という話を思い出していました。未だ言葉にできぬ心情を抱えた老アメリカ人もいました。
 2022年春ごろから連日繰り返される戦争報道に接するにつけ、愛着願望を良しとするこの時代に、開高健さんが観たのと同種の「狂気」を感じている私です。戦場は私たちの目の前、私たちの心情の中にあるような気がしています。中嶋雷太

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