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自分は相手を信用したいのか、否か。自分が決めることなのだ。

6月1日、ロバート・A・ハイライン著『夏への扉』ハヤカワ文庫、読了。

百年の孤独の次とあって、心理的にとてつもなくエンタメ系小説が読みたくなり、伊坂幸太郎と迷った挙句、夏への扉に決めた。

齋藤孝先生の著書に出会う以前、私はよくネットで「読むべき本」「面白い本」を探していた。まとめサイトや個人ブログなどかなりのページ読んでみたが、ほとんどの記事に紹介されていたこの『夏への扉』。

いつか読もう読もう、と思いつつ、Amazonのカートに入りっぱなしになっていたのを意を決してポチり、本棚に積み上げもせず(珍しいの極み)、さっそく読み始めた。

若い男性主人公が、恋人にも親友にも騙され、恋も愛も友情も仕事の成果も失ってやけくそになり、冷凍睡眠して30年後の未来へ赴く。

1970年を起点に書かれていたので、てっきりこの小説も1970年頃発売されたのかと思ったのだが、なんと出版されたのは1956年というから驚いた。

全く古臭くない文章と内容。2020年に読んでさえそう思うのだから、当時どれほどセンセーショナルをもって迎えられたのだろう。

1970年の30年後、つまり2000年に冷凍睡眠から目覚めた主人公は、2000年に起きているある問題の原因を確かめるため、30年前、つまり元居た時代へと今度はタイムトラベルする。

起点となる時代から同じ期間分未来へいったり過去へ行ったりする映画、バック・トゥ・ザ・フューチャーをビデオテープが擦り切れるほど見た自分からすれば、この小説のSF要素であるタイムトラベルに関しては、そこまで驚かないし、新鮮味もなかった。

しかし、もう一つのテーマであるロボット工学に関しては大いに興味をそそられたし、著者の想像する未来のロボットの在り方、つまり著者の想像力には感嘆した。

主人公はロボットには思考力は不必要だと言っていたし、決して人型に形成することをしなかったのだが、それななぜなのだろう。

現代ではAIが生き生きと活躍し、未来を期待され、人型のロボットがどんどん実験・研究・生産されている。それによって人間の仕事が奪われると心配する声も、AIに地球を乗っ取られるのではという危惧もあるほどだ。

その未来を予測したからこそ、ロボットから思考力を排除しようとしたのだろうか。


そして私が何よりも心動かされたのが、主人公ダニエルが、奪われたすべてのものを取り返すべくタイムトラベルする直前の心境をつづった場面だ。

ダニエルは親友に、彼と共同経営していた会社と、命の次に大切な、自分が開発したロボットと設計書をだましとられた過去を持つ。

そして小説後半、肝となる最後のタイムトラベルをする直前にも、その時信頼を寄せていた夫婦に自分の会社と財産を託すべきか否か、重要な決断を迫られるのだ。

その時の心境がいい。


ぼくはかつて共同で事業をした、そしてものの見事にだまされた。がーーなんどひとにだまされようとも、なんど痛い目をみようとも、結局は人間を信用しなければなにもできないではないか。


人にだまされると疑心暗鬼になり、人を信用できなくなる恐れがある。

誰も信じられないということは、どれほどつらいことだろう。

裏切られた時のダメージが怖くて信用できない、と言う意見もわかるが、では、誰一人信頼しないで生きていくこと自体のダメージはどうだろう。

山の中の洞窟に住むような毎日の生活。

究極の孤独。

小説のこの場面で、いきなり主人公から莫大なお金と会社を委託されかけた親友は戸惑い、「なぜ君はぼくなんかを信用するんだ」と主人公を問い詰める。ダニエルは答える。


「たのむ、ジョン。なぜ信用するのか、きみがいちばんよく知っているじゃないか。きみはぼくを信用してくれた。だからぼくもきみを信用するんだ」


この世界の真理が見えるようなこのセリフに、私は目を開かれた心地だ。

相手が裏切るか否かは問題ではない。

自分は相手を信用したいのか、否か。

自分が決めることなのだ。


その時私は強く強く強く強く、思った。

「私はひとを信用したい」

と。

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