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「もう楽しめない」とあきらめたわたしが、再び楽しめるようになった理由

わたしはもともと、マッサージを「する」より「される」方が好きでした。

コリを解すとか…という以前に、誰かの温かい手に包まれると純粋に気持ち良くて、安心できたからです。

手のひらがそっと背中に触れたときの温もり。
優しく包まれるような圧。
身体がじんわりと解れていく心地良さ。


”たぶん…いえ、間違いなくこの原点は父親にあって…”


子供の頃、わたしは父親に抱っこされたり、膝の上に乗るのが大好きでした。

背中に感じる大きな体、温かくて分厚い手に包まれる安心感…

全力で「守られてる!」と感じることが、何よりもわたしを幸せな気持ちにしてくれました。

でも、当たり前ですが、成長するにしたがって父親とのスキンシップはどんどんなくなります。だからわたしは、父親が与えてくれた安心感を他者に求めるようになりました。

それが、マッサージです。

コリや痛みを解す目的ではなく、美容目的でもなく、わたしにとってマッサージを受ける時間は、特別な「癒し」のひとときなのです。


雲行きが怪しくなってきた

しかし、自分が施術者(当時はエステティシャン)としてマッサージをする側になってしばらく経つと、次第に雲行きが怪しくなってきました。

それまで純粋に心地良いと感じていたはずの時間が、なぜか落ち着かなくなっていったのです。

その理由は、施術者としての「視点」が増えてしまったことにありました。

もともとわたしが学んだエステティックは「ソワン(フランス語:お手入れ)」で、人の手で触れることとリラックスすることをとても大切にしており、そこにプロとしての技と知識で一人一人の美しさを引き出すというものでした。

しかし時代とともに、そういった側面はどんどん失われ、「合理性」や「結果ありき」のエステティックに変化していき、例外なくわたしもそれに追従しなければいけなくなりました。

エステティックは人の手よりも美容機器に取って代わられ、日本においては厳格な基準が設けられていないこともあり、美容機器の扱い方を習得するだけで「エステティシャン」を名乗り、活動することができるようになってしまいました。

わたしは最後まで、その潮流に抵抗した一人でしたが、その代償として、手技によって結果を出すことを求められるようになりました。

これは、体に対する理解を深めたり、手技を磨く上では非常に役立つ経験でしたし、お客様のニーズにもしっかり応えられていたので決して無駄ではなかったのですが、一方で、自分が一番大切にしていたものを記憶の奥底に閉じ込めるようなことにもなりました。

それが、施術者としての「視点」。そしてそこから芽生えた「競争心」です。


リラックスできない。楽しめない。ちっとも心地良くならない。

ある意味で時代に適応したエステティシャンになったわたしは、それまで特別な癒しのひとときだったはずのマッサージを受ける時間が、いつしか自分の中の競争心を煽ったり、優越感を求める時間に変わってしまいました。

今日こそはリラックスを楽しもうと決めて行っても、いざベッドの上に横たわると獲物を狙う獣のように意識が冴えわたり、さまざまなこと想像したり、比較検討してしまうのです。

たとえば——
施術者の手の動きや圧のかけ方、触り方、リズム。
息づかい、体臭、手の皮膚の硬さや厚み。
足音や体の動かし方。
オイルの質感やタオルの肌触り。
サロンの明るさや匂い、音楽…。

本来ならばリラックスするための時間なのに、わたしは常に調査や審査する側になってしまい、気づけば心からくつろぐことができなくなっていました。

そうしてそのうち、そんな自分に疲れ果て、マッサージ店から足が遠のくようになりました。

マッサージを受ける側の自分がいなくなると、マッサージを受ける人の気持ちがわからなくなるものです。

気づけば、わたしのお客様の足もどんどん遠のいていきました。

そうして長い長い暗闇の時期が始まっていったのです。


エサレンマッサージがあった!

エサレンマッサージの存在を初めて知ったのは、まだわたしが「ソワン」を楽しめていた頃でした。

「エサレン」という言葉を聞いただけで、それ以外の情報は何もありませんでしたが、なぜか直感的に強く惹かれて頭から離れなくなりました。

しかし当時は現在のように簡単に情報が手に入る時代ではありませんでしたし、どこに行けばそれを知り、体験することができるのかもまったくわかりませんでした。

なぜ「エサレン」という言葉を聞くことができたのかも思い出せないほど、不思議な偶然が重なっただけだったのです。

そのうち、わたしは時代の波に飲み込まれながら「エサレン」という言葉も忘れ去っていき…

のはずでしたが、
暗闇の中でもがき、途方に暮れていたときに再び「エサレン」という言葉とであったのです。

今度はインターネット上で!

その瞬間、わたしは以前にも増して強く心を掴まれました。そして、「やはり自分が進むべき道はこっちだ!」と感じ、夢中でクリック、クリック、クリック…を繰り返しました。

そうしてわたしはあっという間に、エサレン®マッサージ&ボディワークのプラクティショナーとして活動できるようになったのです。


やっと思い出した。わたしの「安らぎ」

エサレンの世界観は、わたしの理想そのものです。しかしがら、長年の実践で染みついた「時代に見合ったエステティシャン」マインドを持ったわたしは、その視点や態度をガラリと変えることができませんでした。

もっと正確に言うと、変えたい気持ち(顕在意識)と習慣化した視点と態度(潜在意識)がなかなか合致しなかったのです。

なので、わたしの暗闇はまだまだ続くことになりました。

しかし今回は暗闇の先にある光がしっかり見えているので迷いがありません。それだけでも気持ちはだいぶ楽なものです。あとははっきりと本当に自分が求めていたものを思い出すだけです。

エサレンのセッションを「やる」
エサレンのセッションを「受ける」

それを繰り返しながら少しずつ、少しずつ、記憶の奥底に追いやられていた感覚が浮かび上がってくるようでした。

そしてあるとき、とんでもなく深い安らぎを感じている自分に気づきました。

施術者の手がわたしの肌の上を滑るたびに、思考が静かになっていく。
全身がゆっくりと波に漂うように、深いリラックスの中に溶けていく。

それは「されるがままの心地良さ」とでも言うべきもの。

完全に身を委ねて、全身を包まれる安堵感…。

「あ…、これは…!?」


結果は後からついてくるもの。大切なのはそこじゃない。

マッサージを受けることが苦痛(?)になっていたわたしが、エサレンのタッチの中では自然と心が開いていくのを感じていました。

本当に不思議なくらい、セッションを受けるたびに緊張が解けていく感覚があったんです。

そして、あのときこう思ったのです。

「ああ、私はただ安心したかったんだ。」

触れられることが、ただ「感じるもの」だったことを思い出しました。

そして父親のあの温もりを…心地良さを…安堵感を…。

マッサージを受けながら「この施術はどういう技術なのか」「このタッチはどういう意図なのか」などと考えてしまい、純粋に心地良さを味わうことができなくなっていたわたしが、とうとう思い出したんです!

マッサージを愛する理由を!
ソワンの心を!
マッサージを提供する意味を!


エサレンを知って欲しい理由

今わたしは、かつての自分のように「マッサージを受けてもリラックスできない」と感じている人にこそエサレンを知って欲しいと思っています。

それは、もしかすると、あなたも知らず知らずのうちに「触れられること」への緊張を抱えているかもしれないからです。

コリや痛みの改善など、何かを目的にしないとマッサージを受けてはいけないと条件付けをしたり、誰かの手に触れられたとき、本当はもっと安心したいのに、変に力が入ってしまって十分に楽しめないとか…自分では気づいてない緊張のせいでマッサージに苦手意識を抱いてしまってるかもしれないからです。

エサレンには、他のマッサージとは何かが違う。

それが何なのか、言葉で説明するのは難しいけれど、一度体験すれば、きっと感じてもらえると思います。わたしが父親のぬくもりを思い出したときのように…。

もしあなたが、
「マッサージを受けてもリラックスできない」
「触れられることに少し緊張してしまう」
「本当の意味での"安心"を味わいたい」

そう思うことがあるなら、ぜひエサレン®マッサージ&ボディワークを受けてみてください。

きっと、あなたの中にある「触れられる心地良さ」を、もう一度思い出せるはずですから。

—— 静かに、深く、自分に還る時間を!

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