発達障害者の生存戦略「擬態」
どれだけの発達障害者(大人)が、この言葉を言われたのだろう?
「全然普通じゃない?」
私も例外ではなく、一部カミングアウトした相手にはそう言われた。
本心なのか、社交辞令なのか、私には正直判断がつかないのだけど、でもたぶん本心だと思う。
外での私は、「明るくユーモラスで気遣いの出来るお喋りな普通の女性」なのだ(たぶんね!こうありたいと言う理想!)
確かにちょっとずれたところはあるし、コミュニティの人間関係は全く把握してないし、人の顔と名前もほぼ覚えてないし、物を知らない事も多いけど、たまに外で短時間会うだけの人間からすれば、希死念慮バリバリで服の中傷だらけのうつ病患者にも、ADHDとASDのW発達障害持ちで、更に精神障害者保健福祉手帳持ちのしかも等級一級にも見えないだろう。
じゃあ私は本当は普通の人として生きられるかと言うと、そうではない。
これはあくまでも、長年の失敗と「一般的な立ち居振舞い」のデータを集めた結果「短時間」に限って発動可能となった、
擬態(カモフラージュ)だからだ。
短時間、それも週に1~2回程。
前後熱を出して寝込むほどのエネルギーを使ってようやく可能になる、健常者への擬態。
だから、長時間かつ連続週5勤務とかの社会人としてや、日常である家庭内ではその姿は維持できない。
だから社会人として働いていた時は毎日毎日トラブルだらけで、まさに健常者たちの言う「一緒に働きたくない発達障害者」だったと思う。
当時は発達障害と言うものをほぼ知らなかったので当然無自覚で、でも頑張ればきっとなんとかなる!と真面目に必死になって働いていた。
しかし同僚に苦情を言われたり取り引き先を怒らせたりミスばかりと、ただただ苦しい日々を送っていた。
結果ストレスで心身ボロボロとなり、共働き希望だったが結婚を機に退職することになった(退職前数ヶ月の記憶がない、同居人(現夫)の証言では目も虚ろで言動がおかしかったらしい)
その後10年近く専業主婦をするのだけど、主婦と言えども人間関係は存在する。
とにかく自分はどこか人と違って、特に女性同士のコミュニケーションが壊滅的だ!と言う自覚はあったので、とにかく模倣をしまくった。
観察して、こう言う時はこう言う反応をすればいいんだと叩き込んだ。
だから「これ前にやったとこだ!」と言うやり取りは上手く出来るようになっていったが、新しい場面ではやっぱりうまく行かない。
とにかく「これ前にやったとこだ!」を一つずつ一つずつ増やしていくしかなかった。
そしてなんやかんや月日が経ち、発達障害の診断がおりて、もしかしてと思っていたADHDのみならずASDもあると知ってからはそれが更に加速した。
発達障害関連の書籍を読み漁り、SNSでも情報収集をし、どんどん擬態はオートで行われるレベルになっていった。
頑張って今から擬態しよう!とかではなく、外に出ると自動的に擬態スイッチが入る。
もはやスイッチを入れない方法が分からない。
調子が悪くADHDみが暴走してる時はそれが加速する(らしい)
夫の目から見ると、そこまでやる必要がないってくらい異常に明るく色んな人に関わっていって話を振って気を遣ってと、とにかくやり過ぎているらしい。
もう、完全に私に組み込まれた擬態と言うシステムは、私自身には制御不可能なものになってしまった。
だから私は本当によく寝込む。
イベントがあると前後はストレスで吐きながら寝込む。
と言うか寝込んでるのがもはやデフォルト。
厄介なのは、自分で「楽しい!」と感じていても擬態による多大なるダメージを受けてしまうことだ。
それでも、少数派である発達障害及び精神障害者である私が、この世界で生きるためには無くてはならない手段なんだ。
「自分のありのままを愛そう」なんて綺麗事では、悲しいけど生きてはいけない。
受け入れてもらうことが出来ない。
だから、これからも「一般的な立ち居振舞い」のデータを採取しながら擬態の精度をあげていくんだ。
最後に。
あなたの目に映る「普通に見える発達障害者」
それは、途方もないエネルギーを使って何とか世界に受け入れてもらうために擬態してる人かもしれない。
必死に-を0にしようと踠いてる人かもしれない。
お願いだから、「(普通に見える)あなたが発達障害なら、みんな発達障害だよ~(笑)」なんて言わないでほしい。
まとまりの無く長い文章を、最後まで読んでくれてありがとうございました。