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コスパ タイパ 苦労 勘
仕事にも「タイパ」を求めるのが結構危ういのは、30代以降は20代のうちにした苦労で食うというルールが潜んでいるからだった? https://togetter.com/li/2023478 #Togetter @togetter_jpより
この若い子のコスパ計算、結構危うい気がしている。全体像が見えてない中でひろゆき価値感みたいな安易な計算で近視眼的に間近の事を見てるだけなので、身近なコスパコスパ追っかけた結果10年くらいのスパンをトータルで見ると結果して大損してる気はする。 https://t.co/MtFhOQGpdP
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
なんとかこれを言語化できないか考えたんですが、要は真のルールを理解してない状態でコスパに走るとどうなるかってことで、多分種族値と努力値の概念を知らずに育てたポケモンみたいな物が出来ると思う。なんかそれらしくはなるけど、ガチって来た奴らと相対したら勝負にならずにズタボロにされる。 https://t.co/y2zEiD2Ats
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
ワシらも別にルールを理解してやった訳ではないんだけど、強制的に努力値を詰まされて今に至った段で、「努力値ってこれか」と後から気付かされてる。今ワシらは何か言うとパワハラになるから何も言わないで若者を放ってる。努力値を積まないままLvだけ上がってしまうと二度と取り返せない。
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
30代になって、「あ、若い頃の苦労で食う」ってコレか!て体験があると同時に、「待てよ。これ、若い頃苦労しなかったら、一生20代と同じ苦役を続けるしかなくなるって…コト!?」という気付きの瞬間があって、それが背筋が凍るほど怖い事なんだよ。 https://t.co/THQXcn0MoV
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
20代で見えてないルールとして、
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
・吸収力、体力は20代が上限。後は右肩下がり。
・「許され」が付与されるのは20代のみ。
・年が行くほど生活にかかるコストは逓増。
・アウトプットの要求は右肩上がり。
とかいう闇ルールが潜んでるので、構造上20代の内に努力値を積まない必ず詰むクソゲーなんだよ
切り口を変えると、30代前半までは若さによる許され・体力・吸収力の3武器でタスクを越えながら努力値を貯めるゲームで、30代後半からは20代の3武器を没収された上で、これまでの努力値蓄積をベースにより強い敵と加齢デバフ喰らいながら戦わされるゲームになるので、その全体感が無いと死ぬ。
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
最初チート剣とチート盾を渡されてキメラや大さそりと滅茶苦茶戦わされて、素のLvを上げて技を覚えさせられるんだけど、段々チートが切れて来て、どっかの一点で消滅。そっから敵がドラゴンとゴーレムになるんだけど、もう素手なので、ここに来るまでにある程度素のLvと技が育ってないと即死
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
浅いコスパ戦略の怖い所は、多分このルールチェンジを踏まえて無いので、
— あんちゃん (@monosoi_akarusa) December 27, 2022
「戦闘回数を減らす方法を見つけましたwwwこれで楽勝www」
みたいな理解になってて、今お前が捨てたのがこれから一番使う物なんだよ。
もっとも、30代になっても働き続ける必要のない人もいるし、同じ感じで(「バイト」感覚で)働ければいいやというひともいるし、誰もが「クリエティブに」なる必要もないし、おれも新卒のころからコスパタイパ稼げるならそうしたしなんならしようとしてたとおもうし、その考えそのものは間違ってなかったと思う。
なぜならその業界は非効率•理不尽そのものだったし今それは(自分の思ったようにかまでは知らないけど)そういうふうに変わっているので。
まあでも一般的に見れば、いまRTしたようなことを「若かった」自分を振り返っても、「若くない」いまの自分から見ても、まあそうだよなあとおもうところはある(全面的に同意、ではない)ってことは、そういう世代のひとたちにちょっと考えてみてほしいかな。
まあでもやりたくないことはやりたくないもんね。おれもめっちゃそう。だから極力やらせない。それでどうなろうとおれ責任ないし。
これは完全に自分の「思想」だけど、人は「勘が働く」ところにいたほうがよくて、それを見つけるには「勘が働かない」ところも含めて経験してみないとわからない、みたいなことがあるよね、という感じです。
勘が働く/働かないとはどういうことか、ということと、勘が働くことそのものが身につく(育つ)のもそういうランダムな(ある種、非効率な)経験からしかないんじゃないかと思っているので。
まあでも学問とかそっちの世界はわからない。それこそ勘とかじゃなくちゃんと実績とか研究とか積み上げていくことこそが必要なんだろうし。
というようなよもやま話をあてにしたりしなかったりしながら生きていくしかないし、そういう情報があふれている今と少なかった昔とではどちらが幸せかなんてのもよく分からないですね。