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大人のADHD、発達障害者が幸せになる為に その4 『ついに診断が下る』

自身の体験から、発達障害、主にADHDに関する記事を書いています。


初来院の日に「ADHDの傾向と、一部ASDの特性があります」との医師から言われ、
その日のうちに治療の方針と薬についての説明があり、投薬治療が開始されました。
しかし、この時点ではまだ診断を受けていませんでした。


ではいつ、どの段階で、どんな理由で診断を受けることになったのか。
その辺りを今回は書いてみたいと思います。


なお、精神科の初診の様子はこちらの記事に書きました!是非お読みになってみてください。


さて数年越しに、晴れて自分の意思で精神科の門を叩き、
初診で治療についての説明を受けました。


そして私の困り事から、
第一選択に上がったのは「ストラテラ」と言う薬でした。
一回2カプセルを1日3回飲む治療を始めることになりました。

初めての事なので、促される通り試してみることにしたのですが…

まず薬局でのお会計が6千円を超えていて、びっくりしました(そこ?!笑)
これは通院が続くとなると中々に厳しい…と思いました。
仕事もセーブして、必要最低限の収入しかない状態でしたので…

しかしその時は藁をもすがる気持ちでしたし、
これで少しでも改善するなら!と腹を括ったのでした。

飲み始めて二週間。効果があったか?というと、実はありませんでした。
副作用の悪心に慣れるので精一杯という感じ…
そう医師に告げると、
次の選択肢である
「コンサータ」を試してみる事になりました。

コンサータは一番少ない量から試してみたのですが
帰宅前に薬が切れた時、とんでもなく身体がダルくなり、やっとの思いで家にたどり着く…みたいなことがあり
あまりの効き目に少し怖くなりました。
なんとなく求めてる感じと違うと感じたので、すぐにストラテラに戻してもらいました。

悪心には徐々に慣れていき、飲み忘れを防ぐ為にスマホのアラームをセットし、なんとか1日3回飲見続けて2ヶ月位経った頃。
(薬の効き目については別の記事に詳しく書きます)


予約日に行ってみると、いつもの医師がおらず、急遽別の医師が診ます、と言う張り紙が。


この日はWEBサイトのトップページ?でお顔を見たことのある院長が診察してくれました。
初対面でしたが、その写真のおかげで親近感も抱きつつ、
医師が変わればセカンドオピニオン的なのも聞けますし、
ちょっとラッキー、と思いました。

この院長は、中々面白い人でした。

「前の先生が急に辞めちゃったんでねー、
急遽私が代診してます、すみませんねー」みたいな、
軽い感じで笑

しかし発達障害の専門医ではないとの事で、
「専門医でないと出せない薬がある」との事でそれについてだけお断りを入れられたのですが、その薬が私に合わなかったコンサータだったんです。
もうあの薬を飲むことはない気がしたので問題ないし、
暫くこの院長の診察に通ってみる事にしました。

そして、この院長に変わったことが私の治療の転機となったのです。

院長に変わって数回目の診察の時、何か困り事はありますか?と聞かれ、
「仕事をセーブして学校に通っている学生の身分で
通院費や投薬費が家計を圧迫している」という事を伝えました。

「症状の困り事を聞いたのに……そこ?!」って思ったと思います、多分笑

でも笑ったりせず、「仕方ないですよね」とかでもなく、

間髪入れずに「あー、では自立支援制度、利用しますか?」と。

おそらく、交代前の医師だったらこういう流れにはなっていなかった気がします。
「症状の困り事を聞いているのに、お金の困り事言われても!!」的な感じで軽くあしらわれていたんじゃないかなと思います。

ところが、この院長はそうじゃなかった。

実は、そもそもこの病院は発達障害専門のクリニックではなく、
心を病み、それが原因で働くことが困難になった人を社会復帰させるのが目的の病院のようだ、というのはサイトや待合室の張り紙で見て知っていました。
リワークプログラム(復職支援)のある心療内科・精神科、その中に発達障害外来”も”たまたまあった、という感じです。

今思うと、何故このクリニックにしたのか..すごい神がかってる気がしています。


私は、発達障害の治療でそのクリニックに通っているつもりでいましたが、
学校はある意味「組織」であり、そこに入ってからなんとなく他の生徒とは速度が違う自分や、パニックに陥り授業についていけない等の”置いてけぼり”を食らっていたことは確かで、
図らずも、それはそのクリニックに通っている他の多くの復職を希望する患者と同じ”困り事”なのだ、と初めて繋がったのです。

この病院の院長は、
「心を病んで仕事がままならなくなった人を社会的に復帰させる為の専門医」であり、
その為のたくさんのノウハウを持っていて、自立支援制度の利用はその手段の一つだったのです。

自立支援制度にはいくつか種類があるようですが、
精神科においては、
「精神的な病により会社勤めが難しくなってしまった人が社会に復帰できるまで通院や投薬にかかる費用を国が負担してくれる制度の事」です。

何となく聞きかじったことがあったのですが、まさか自分が利用できるものだとは思っていなかったし、こんなにも早い段階で目の前に選択肢として現れるとは思っていませんでした。

しかし本当に家計が逼迫してきていたので、「利用出来るならしたい」、と伝えると、

「わかりました。”診断書”書きますのでそれを持ってお住まいの市町村役場へ行って手続きして下さい。」
とのことでした。


そうです。
こうして初めて「診断」が下ることになりました。


そして、区の審査に通り、晴れて自立支援を受けられることになったのです。

この流れ…
今思うと色んな偶然が重なって起こり、なんだか導かれたような感じでもあって
とても不思議な感覚でした。

私は、診断を受けずとも治療はすでに行われていましたし、その時になるまで診断を受けていない事すら忘れていました。

つまり、そういう事です。

診断とは、
求めて行ってされるものではなく、
必要に応じて書類上でされるもの、ということです。

なんだか呆気なくて申し訳ないのですが、
「あなたは、発達障害です!!」
「ガーン!」
みたいなのは実際なくて、
必要もない、と実感しました。

必要なのは
「困り事を解消してあげたい」という医師の思いと、
「良くなって困り事を解消したい!改善していきたい!」と願う患者の意思だけ、という事です。


さて、診断について3記事程書きましたが、
つまり
「あまり気にしなくていい」

が結論でした。

もちろん医師側では、患者の困りごとをなんとか解消しようと、
当たりをつけて治療の選択肢を提示する訳ですから、
医師の中ではある程度診断めいたものはあるのでしょうけど、

外科的な疾患における目に見える「病巣」のようなものがあるわけではないので、診断するのは難しいものなのかもしれません。

発達障害者にとっていわゆる「診断」は、とかく話題に上がりやすい印象がありますが、
診断とは、
決して自分を地獄に追いやる”判決”などでなく、
困り事を改善する為、書類上必要な場合に受けるもので、

一番大事なのは、「診断」「病名」などの”肩書き”でなく、
困り事を何とかしたい!
それに立ち向かいたい!
という自分の中の勇気なのではないか、

と、そんな風に思います。


診断を受けて良かったことは、
自立支援制度が使えるようになったこと。

それと、もう一つ、これは振り返って見て思うことですが、

いい意味で、退っ引きならない状況に自分を追いやってくれるので、
「前に進むんだ!」と強くと思わせてもらったように思います。

そういう意味で「診断を受けた事は近道だった」と今は思っています。
(良いタイミングや、モチベーションが伴っていることが前提ですが)

誰かに慰めてほしいからとか(以前の私がそうだった)、
不安でしかたなくて、出来ない言い訳が欲しくて「病名」が欲しいからとか(以前の私がそうだったpart2)

(こちらがその模様↓)

そういう負のエネルギーからでなく、
その先の「良くなるなら治療したい!」
「良くなったらどんなに良いだろう!」
そういうプラスの思いから精神科の門を叩いて欲しいと思います。

診断はゴールではなく、生きづらさを解消できた暁には、
新たな人生のスタートとなるのですから!


余談ですが、
自立支援制度を利用させて頂く事になったのと同時期くらいに、
薬価の高い「ストラテラ」にジェネリックがでて(アトモキセチン)、
通院はそこまで高額な医療費ではなくなりました。
(その前は一回の受診6000円越え…)
ですが、当時ほぼ無職状態でしたので学校が終了するまでの2年間、ありがたくこの制度のお世話になりました。

そのお返しに!
この記事が少しでも同じ悩みを抱える方の力になれれば!
そんな思いで無料でお届けしているわけです笑

さて、治療の効果や、治療と同時に始めた事でとても良かった事、
ADHDライフハック的な事も書いて行きたいと思っています。

こちらのマガジンに書き溜めて行きますので、是非フォローよろしくお願いいたします!


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