オンライン化と私
4月に入って突然思い立ち、料理実演をインスタライブ配信している。
これが、やってみたら結構楽しい!
そして思った・・・「そうそう、こういうことマル13年やってきたしなぁ・・・」ということ。
「お気軽料理サロン」は私がしゃべり倒し、作りまくり提供する料理教室
だから、まるで実演販売のお兄さんのように、通販番組のアンミカさんのように・・・私はいい感じでしゃべっている。そして楽しい!
今考えると、お客様が実際足を運んでくれて、目の前に座り、私がリアルタイムでそこで料理を作り、サーブして食べてもらう・・・ってめっちゃ「ショービジネス」じゃん!って思う。
なんでもかんでも「オンライン化」に傾倒していく今から考えたら、夢のような??システム。
・・・というのも、昨今の「オンライン情報提供の嵐」に実はちょっと疲れてきてもいる。いや、ちょっとどころか感じていた違和感は少しずつ増えてモヤモヤしている。
オンライン化に感じるモヤモヤとは
まず、この時期にオンライン化を検討しないなんて、乗り遅れる!という強迫観念がある。そうでなくても家に閉じこもり、仕事はほとんどキャンセルし、普段と全然違う状況に置かれている今。
ダラダラと緊張感がなく、それはそれで幸せ?なのかもしれないけど、でも自分の仕事の先行き不安に加え、単純に人との交流やちょっとしたお出かけもなくなって、放っておけば気は滅入る。
なかば、へそを曲げて「そんなにオンライン化必要か?」って思う
ええ、もちろん「モノによって」ですよね。そうですとも。
でも、ここ数日は自分のなかの天邪鬼が優勢になり、「どこもかしこもオンラインオンラインってうるせーーー!」とすら思い始めている。
実際、「今までやったことないけど、やってみたらこれもアリだね!」という目新しさはある。そして、家に居ながらにして・・・という便利さや気軽さもある。
でも、やっぱり「リアルとは別次元」だ。
どっちがいい悪いの話ではなく、なんでもかんでもオンライン化ってどうよ?っていう話。
いよいよ自分の中の「大切にしているもの」があぶりだされてきた
まるで年賀状にミカン汁で書かれた文字を炙るように、だ。
今まであたりまえのようにざっくりと「自分の仕事」と思っていた中で、
じゃ何が大切なの?何を提供したいの?何が楽しいの?
という「思い」が浮き彫りになってくる。コロナきっかけで。
私の仕事は飲食業で教室業
でも「食べ物を提供する」ことが仕事とか
「人にレシピを教えること」が仕事なんて
思ったことはない。
どっちかっていうと、飲食業と教室業をやっているけど、
食べ物を提供するとかレシピを教えることが仕事じゃない。
もちろん、その側面もあるけれど、私が大切にしていること・魂が震える瞬間はそんなことじゃない。
私は私を救いたい
言い換えるなら私は私のような人を救いたい
究極はそれなのかもしれない。って思った。
例えば、家事をしていて気が滅入る、報われない、終わりがない・・・そんな鬱々として漠然とした問題をきっとたくさんの人が抱えている。
なぜそう思うか?というと、この私が抱えているからだ。
だから私は私を救うためにあらゆる努力と知恵を絞っている。
その「私のようなおばさんを救う」ためのツールが、美味しい料理とかレシピなのだ。
言い方を変えれば、料理とレシピはツールでしかない。
私が提供したいのは「私自身の思い」なのだ。
そしてそれを「自分の店」という場所で表現しつづけていたい。
その提供する「場所」の概念が変わった
今までは「自分の店」が私のステージだった。そこで表現すればよかった。
でもいつしかコロナに見通したがって、料理サロンも再開をする日が来るだろう。その時の私の表現の場は、今までと同じ「自分の店」だけじゃないって思う。
変わるに違いない、というか変わらないはずはない
その流れの中で、何かがオンライン化できるならそれも「並行して」やっていく。
原価がかからない、手間がかからない、一度にたくさん・・・という理由で私は自分の表現したいことをオンライン化する気持ちは毛頭ない。
だから、料理のオンラインレッスンはやらない。と決めている。(今はね!)
どう考えても魂が震えないからだ。
そして、料理のオンラインレッスンなど、他にもっと素晴らしく・わかりやすく・上手な人があふれている。
そしてレシピは世の中に「タダで」あふれている。
親和性を探す
そう考えると、自分が提供したいもの・共有したいものについて考える時であり、その提供方法についても探りながら見つけ出す時期だと思う。
何を提供したいのか?自分が一番親和性を感じる手段は何なのか?
そうは言っても、目まぐるしく変化していく今。
「よくわからない」「なんだかしっくりこない」を放っておいたら何も変わらない。
とりあえず自分自身に「やってごらん」の真っ最中なのだ。
そして始めたインスタライブとnote
他にもちょこちょこ手を出しているけれど、ここ1,2カ月で始めたのはインスタライブとnote。
インスタライブはやってみたら簡単で、面白い。
なぜなら、提供していることは私が13年間料理サロンでやってきた事の縮小バージョンだからだ。
だから、驚くほど簡単にできるし、違和感が全くない。
そして自分なりに、私が提供するものを適正に配信したい・・・という思いをもって使い始めたのがこの「note」だ。
「私の提供していることのファンになってほしい」そんな願いがある。こっ恥ずかしいけれど。
そのために、私にとってのnoteはいくつかの役割を持っている。
たとえば・・・
①魂の声を吐き出すブログの役割
②料理の写真やお知らせを伝えるSNS(インスタとかFB)の役割
③レシピや作り方(動画)を実際に見てもらう料理教室の役割
③相互で繋がれるイベントやお茶会の役割
私が提供したいことを届ける「手段」として一番しっくりくる!と思っている。
でも、ちょっと馴染めないことが・・・入力した時に見える「字の大きさ!」
そう!自分の思いを文字にするときって、フォントとかQ数とか行間とか・・・微妙に「書きやすい」「書きづらい」ってのがあるんだな・・・と発見した。そしてそれってめっちゃ大事。
つまりnoteは入力画面の文字の見た目が違和感なのだ。
そもそも「思い」を「言語」にするのが一苦労。
そしてその「言語」を「文章」にするのも一苦労。
そしてその「文章」を自分で読んで「推敲」するのも一苦労。
入力した文字の見た目しっくりこない・・・という問題は、この言語から推敲、そして文章を完成させるまで・・・つまり「自分の思いを表現しきる」という壮大なミッションにおいてずっとついて回る違和感。
なんだか筆が進まない?文章が乗らない?と思っていたのは、単純に使い勝手というより「文字や行間の見た目」のせいだった。(かな?)
私が一番書きやすいのはブログだ。
ほとんど、思いつく=書き上げるが同時にできる。
そこいくとnoteは行間が広すぎる。文字が大きすぎる。
そして画面がシンプルすぎる・・・(好みの問題)
色々あるけれど、とりあえず今日から自分の画面表示の文字を少し小さくしてコレを書いてみた。そしたら少しだけ書きやすくなった。
もしかしたら何事も「慣れ」なのかな・・・と、超保守的な自分を顧みる。
noteの機能は私がやりたい事に沿っているので、これからはいかに使いこなすか・・・が問題のnote。
私の中の「オンライン化」「マルチメディア化」はまだ始まったばかり。
これからが挑戦。