「みんなでつくる中国山地003号 ここで食っていけるの?」読了。
読了。
刺さる、刺さる、刺さる。
中国山地の本を読むと、仕事ばかりをしている私の心の奥にほんのちょっとある違和感がのぞいてくる。
違和感なんて誰も持っている。今の働き方でいいんだっけ?家族と向き合う時間ってこれでいいんだっけ?衣食住不自由なく生活できている。毎日充実している。現状に大きな不満もない。でも、これでいいんだっけ?
違和感があることが健全、ないことのほうが不自然。そうやって折り合いをつけて、違和感と一緒に生きていく術も持っている。
でも、「みんなでつくる中国山地」のページをめくるたびに、何かが心に刺さる。
本当の意味の地域づくり
私は「地域づくり」の仕事をしているけれど、本当の意味で何もできていない。そう思うのは、みんなでつくる中国山地の発起人の一人の森田一平さんの影響。
「本当の意味で地域をつくっているのは、この地域を守っている、トラクターを汗水たらして運転している地域のおっちゃんたち。自分は地域づくりをしていない」
森田さんの言葉、がつんと心にきた。
畑で獲れた新鮮な野菜を食べることができ、美しく維持された景観のなかで、私が親子ともども豊かに暮らせているのは、この地域を開拓した先祖たちのおかげ。そしてその景観を守り続けているのは私のひいおじいちゃんやおじいちゃんや父や母のおかげである。今住んでいる家も、大工だったおじいちゃんが建てた。
地域づくりの仕事はしているけど、本当の意味で、私は地域を作っていない。
私にとっての「食っていく」
とはいえ、何もできてない自分に悩んでいるわけじゃない。「シン・食っていく論」の中尾圭さんの言葉「その時々の夢と現実と周りの環境に応じながら、食っていくは変化し続ける」に深く共感した。
「食っていく」意味は変わりつづける。社会人3年目ぐらいまでは、夜遅くまで働いて、仕事のストレスを酒と遊びにつぎ込んだような生活で「食っていく」というより常に消費していて、お腹がいっぱいにならなかった。考えたことがなかった。
その後、ローカルキャリアを歩みだしたとき、給与が一時期下がったことで支出を見直し、自炊が中心となり堅実な生活に自然と切り替わった。さらにその後、結婚出産を経て1歳半の娘を一時保育になんとか預けながらの時給制の仕事生活は、国民年金や税金や自動車のローンの支払いが重たく、経済的に困窮していた。通帳みてはため息をつくことも多く、いかに食っていくかを考えていた。
仕事のやりがいとお金は常に天秤にかけていた。その後、離婚してシングルマザーになってからは実家や周りの助けも借りて、なんとかフルタイムの仕事ができるようになった。娘が小学校にあがり、ようやく「やりたいことで食っていく」ことをど真ん中に置けるようになった「おかげさまで、元気にやっています」裏表紙のメッセージそのものだ。
新卒の若者のキャリア観
先日、それなりに知名度のある企業で働く20代の女性から「今の会社を辞めようと思っています」という相談を受けた。仕事内容も同僚も上司もみんないい人。でも、よくよく話を聞くと「会社の風土」への違和感。このままここにいたら、会社の色に染まってしまう。だから辞めるのだと。
本誌「100年食っていくこれからのローカルキャリア」の座談会の記事でも綴られている。”新卒で就いた仕事だけど、最初から一生続けていく気はない””会社としては3年で仕事をやめられたら困ると言われても、当人は知ったこっちゃない”そりゃそうだ。
私が就活した時代と、今の彼女らの時代は前提が違う。私は同期と、初任給がいくら、手取りがいくら、そんな話で盛り上がっていた。給料=自分の価値。だから、市場価値を高めたい。転職市場で売れる人材に。新卒で入社した会社で、拠点の営業目標を達成することは、会社への貢献でもあり自分の成長のためだと疑わなかった。ビジネスの世界で生きようとしていた。競い合っていた。
「1年で辞めるのなんてもったいない」「3年は我慢しないと」こんな言葉は、もう彼女らには響かない。私もそんなメッセージは言えなくなった。彼女から感じたのは、変わらない組織風土に自分をアジャストさせるのでなく、とっとと辞めることで、自分の20代のエネルギーをそこに使うんだという意志だった。そう、辞める不安は全くない様子だった。
短期スパンで働き方も変化する
私も26歳で島根にUターンして13年。いろんなことをやってきた。私のローカルキャリアの歩み方は、THE 無計画。特定のロールモデルは持たずに(持てずに)、島根の先輩のいいとこどりをして、面白そうなプロジェクトに飛び込む感覚で仕事をしていった。
27歳のときに、月額15万円の給料(家賃1万!)でも江津市に移住したのは「やりたいことをやるには今しかない!」と独身だからこその勢いもあった。そしてそのあと、31歳で教育魅力化のコーディネーターに飛び込んだり、財団職員になったり、34歳で会社つくったり。いまでは雇用&役員の復業キャリア。そして、リモートでも働ける環境を「掴んできた」。
本編「幸せとお金のはなし」のなかでも、中国山地に住む3人が仕事と暮らしについて赤裸々に語ってくれているのだが、興味深いのは、働き方が変化していくところだ。地域で暮らす人のインタビューは「いまの働き方」に注目されがちだが、いまの生活スタイルにどのように辿りついたのかが面白い。目標に向かって階段的にキャリアを歩むのではなくて、雇用されたり専門職として仕事をしたり、もがいたり工夫をしながら「いま」がある。自分が選んだものもあれば偶発的なものもある。世の中も変化するけれど、わたしたちも変化する。
地域おこし協力隊の友人たちの存在
本編「地域おこし協力隊から10年こうして食ってきました!」は、過去の仕事歴を紹介している。しかも10年!!
私が島根に江津市に移住したのが2011年。一緒のときを過ごした仲間。
紙面に登場する川本町にIターンしたばっかりのむっちゃんとはプライベートの話もよくしたし、当時協力隊だった野口くんと川平町の文化祭に行ったり、江の川を一緒に眺めて地域づくりの悩ましさを語った記憶がある。三瓶さんとも雲南市に来たばっかりのときにキャンプ場のログハウスで初めて出会った。「震災を機に生き方を見直す」という言葉を聞いたのが強く印象に残っている。「実家に戻るとアスファルトだらけで、土がないのよ!」そんなIターンの彼女らの視点は、私にはないものの見方をたくさん持っていて常に刺激的だった。
“過去の延長線上に未来はない”
中国山地を読み進めると、就活時代の20年前や、ローカルキャリアを歩み始めた10年前に頭がタイムスリップする。当時の記憶がどんどん蘇ってくるから恐ろしいものだ。
そして、本の終盤に差し掛かり、再び「いま」に戻ってくる。
藤山浩さんの「全世代、仕事に悩む時代だ」
“仕事ばかりに追いたてられているのでないか。”
”暮らしや地域社会の中でやりたいこともある。”
“過去の延長線上に未来はない。”
まさしく。私のことを大切に思ってくれている周りのひとたちは(田中輝美さんもそうだ)「いま、りえちゃんのやりたいことはなに?なにか私にできることはない?」とおそらく声をかけてくれるだろうけれど、いまの私のなかにほんの少しある違和感をすぐに言語化して解決しようとは思っていない。
そう、刺さる言葉の多くが心地よい。
ただ、いま浮かぶのは、「みんなでつくる中国山地」の本に詰まった数々の言葉を一緒に分かち合える人と一緒に過ごしたい。
藤山浩さんの言葉
「だから、みんなで腰を落ち着けて悩んでみよう」に、心がじんわりあったまる。