『世界で一番不幸で、いちばん幸福な少女』今岡清著(早川書房)ー引き裂かれ続け、闘い続けた少女の人生ー中島梓を想うー
栗本薫/ 中島梓没後10年 グイン・サーガ誕生40年記念出版ーと銘打たれた本書は、膨大な作品を残した物語作家であり演出家であり評論家であった女性の夫ー今岡清氏によるー「わたしの奥さん」についての一人語りである。
作家ー栗本薫の評価とはいかなるものなのか、わたしは知らない。
80年代には、ミステリー作品、ファンタジー作品で次々とベストセラーを連発する時代の寵児、テレビのクイズ番組「ヒントでピント」のレギュラー解答者。といった大雑把な印象しか残っていない。
わたしにとっての栗本薫とは『真夜中の天使』ー通称マヨテンーの作者であり、雑誌『june』(ジュネ)の看板作家であり、そしてそれよりもはるかに大きく『小説道場』の道場主ー評論家の中島梓であった。
しかし、どちらにせよ彼女について熱心な読者、ファン以外に特に関心を持たれることはない。生前からそうであったように、キワモノ扱い、正当な評価に値しない扱いをされているのが現実だろう。
といって、その評価とは、どこの誰がしていることなのか。
中島梓の仕事は、そうやってこの社会で、誰にもまともには扱われない存在ー少女ーが抱えるあらゆる事柄、ことさら欲望に関わっていた。
今岡氏が、本書の中で触れる、摂食障害、過食と拒食を繰り返す思春期以降の少女に多く見られる症状は、性意識ー性欲ーとも深く関わっている。少女たちがそれと認識できないほど、底のところで。
少女であるままに欲望を抱えることは、この社会では、常に一人の少女の中で引き裂かれる運命にある。ここのところがー少年ーには、決して実感として理解されない分岐点なのだと、わたしは思うけれど。
それはともかく、その「少女であることは、初めから引き裂かれているしかない」状態そのものを、延々と表現し続け、具現化し続けていたのが、栗本薫であり中島梓だったのだと。本書を読んで、わたしは思った。
「ジュネ小説」という言葉とジャンルを見知っている者は、そんなに多くもないが少なくもない。BL(ボーイズラブ)という言葉が流行り、一般化して10年くらいはたったかもしれない。テレビでは、よしながふみの傑作マンガ『きのう、何食べた?』がドラマ化され、中年ゲイカップルの日常が描かれ大評判を取っている。
こういうの何ていうんだっけ? 隔世の感…。
ジュネマンガ、ジュネ小説、あるいは「少年愛物」「やおい」といった言葉で表されていた男性同性愛を主題にした少女向け、女性向けのエンタテインメントは。その時代、まったくのアングラであり、それらを好むものは「変態」であり、今でいうところのキモオタもキモオタ、ディープに深い逸れ者であった。
雑誌ジュネや竹宮惠子先生の『風と木の詩』を、家族に見つからないように、ベッドの下に隠していたという輩は、やたらにいた。わたしは堂々と本棚に置いてましたけど。なんで若い女の子が男同志の恋愛ーひいては性描写を含むーマンガや小説を製造し読み漁るのか?
世の中のほとんどは、存在にすら気がついてなかった。気がつかれるのは、それらが「金になる」時だけだったのに。その得体の知れない何事かのー先達、急先鋒、ジャンヌダルクのごとく旗を振り上げ、道に続く者を庇護し助け、決して否定せず、まともな姿に育てようとしたのが『小説道場』を開催し、有象無象に送られてくる「ジュネ小説」もしくは「やおい小説」を読み、添削し、評価し続けた、中島梓/栗本薫だったのだ。
その結果、この世に残された事柄について、この場で語ることはしないけれど。ともかくも。かつてジュネと呼ばれ、やおいと呼ばれ、今やBLと呼ばれる表現自体が、少女の分裂ー引き裂かれたままでしか存在できないーそのものを表現していたのだと(女の子なのに少年になるー精神を委託する、性をも委託して欲望を発散、客観化しないと表現されない)これも改めて認識することができた。
そして、今岡氏が語る「僕の奥さん」の生きる姿もまた。常に自身と自身を翻弄する記憶や想像力、精神的な疾病、巨大な感受性、過剰なまでの表現欲求とアウトプットできてしまう能力ーなどなどに振り回され、引き裂かれたまま生きざるをえず。ガンを患い、死の淵をさまよいながら、最後の最期まで文字を書こうとし、懊悩しつづける姿に、胸を突かれる。
栗本さん/中島さんが亡くなった時、わたしは追悼することができなかった。本書の中にも書かれてあるが、晩年の彼女の言説には疑問を抱くことが多く批判的に見ていた。ガンで闘病していることは知っていたが、著書を読むこともなかった。今更ながら彼女が何と闘っていたのかを思い知る。
少女であるままで <わたし>として生きることができない。
決して、それを許すことのない、この世界と。
「言葉」という劔と鉾で闘っていた。正しいか正しくないかではない。
闘い続けた。それが彼女であったのだ。
改めて、心の底から。
多くの仕事に感謝を捧げ、中島梓さんのご冥福をお祈りいたします。