カラマーゾフの兄弟 アリョーシャはなぜ父の死を嘆かなかったの?
カラマーゾフの兄弟で主人公と位置付けられているアレクセイ(愛称:アリョーシャ)はゾシマ長老の死に対しては悲しみにくれています。ゾシマ長老が息を引き取る前に彼から「ドミートリー(アリョーシャの兄)に会うよう」言われ、ドミートリーに会いにいきます。敬愛する長老の意見は死期が近づいていたとしてもちゃんと聞きたかったのでしょう。
ゾシマ長老の最後の言葉を書き留める書記役をアリョーシャは勤めました。ゾシマ長老もアリョーシャのことが大好きで、アリョーシャもゾシマ長老が大好きでした。
彼の死後、アリョーシャは嘆き、大地に接吻をしました。
その後、実の父ヒョードルが何者かに殺害され兄のドミートリーが容疑にかけられます。誰が判断してもドミートリーの犯行を疑う余地のない証拠と動機がありました。しかしアリョーシャは兄を信じ「兄が殺人を犯すわけがない」と一瞬の疑いすら持ちませんでした。
ここで大切なことがあります。(と僕は思います)
アリョーシャが父の死に対しなんの感想も持たないのです。記述がないのです。敬愛するゾシマ長老の時とは態度が打って変わっています。なぜなのでしょうか。
「ゾシマ長老の方が父ヒョードルより好きだったからじゃないの」
「アリョーシャは父が嫌いだったんじゃないの」
といった意見はあると思います。しかしそれでは不十分な気がします。アリョーシャは相手の年齢関係なく必ず対等に接します。年下の中学生であっても年上の人に対しても敬意を持って接する聖者です。
そんな彼が実の父の「死」に対しなんのコメントもないほど冷淡なのにはドストエフスキーがアリョーシャの心の奥底に何か「変化」が起こったのだと、「記述」をしないことで表しているのではないでしょうか。その「変化」はおそらくゾシマ長老の死を経てからだと思います。
ご存知の方も多いと思いますが、この作品は未完で続編が作られる予定だったのです。しかし作者のドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書き上げた約三ヶ月後に死亡します。続編ではアリョーシャがテロリストになり、次男のイワンが修道僧になるのではないかと言われているようです。イワンは博識の無神論者で、アリョーシャは心優しき神を信ずるキリスト教徒です。血こそ繋がっていれど、ここには大きな壁があります。
父の死に冷淡であったアリョーシャがテロリストになる変化の第一歩がゾシマ長老の死だったと考えたら、また面白く作品が味わえそうですよね。