読書してみて考えた③「知ることより考えること」

はじめに
およそ5年前からの私の哲学ブームである。その理由はEテレの「欲望の資本主義」で初見のマルクスガブリエルだった気もするし、同じくEテレの「世界の哲学者に人生相談」だったかもしれない。
しかし、いずれも2018年とあるので、始まりはきっと 娘小4で不登校傾向になり、同時期にくじ引きでPTA副会長→会長していた2016年辺り。
今回たまたま文部科学省の保護者アンケートに答えるという機会、中学は全国?無作為抽出約750校とのこと、があり、昨年購入した池田晶子著「知ることより考えること」を帰省のお供に読むこととした。

1購入は2020年春
何とか息子が県立高校に合格して、2020年春入学式の日のこと。コロナ禍で入学式以降は休校予定だった。教室で、Googleクラスルームに登録するから皆さんスマホを出して下さい、と言われたそう、
「スマホ持っていないの、僕1人だった」と息子。
LINEが無いせいで、中学野球部のちょっとした連絡が入らないこともあり(正式な連絡は昔ながらの電話連絡網)、
「PCかスマホどっちがいい?」
息子はその当時PCを選んだ。
「これからも、LINEもGoogleも家で自分のPCでやるから、僕スマホいらないよ」
いやいや、そんなスマホ無し高校生、クラスに1人じゃなくて、学年、もしや学校唯一じゃあるまいか。すぐに、私のタブレットを息子に譲ることにした。
とはいえ、自閉的でゲーム+YouTube依存のわが息子。またもや夜な夜な動画三昧だな、と気が重くなった。そんな時書店の哲学コーナー池田晶子の棚に「知ることより考えること」をみつけ購入。動画依存気味の娘、息子、そして夫へのちょっとしたメッセージ。勿論自分自身にも。

2第1章自分とは何か
表題、私のコスモロジー。
ここでいう宇宙は、月食とか火星探査機などの科学ではない。
「自分とは何か」脳でわかる以前に、我々は自分が自分とわかっている、この当たり前が謎と書いてある。この謎は宇宙の謎と同じではないか、とも。宇宙(自分自身)について考えられない思想は二流、だからマルクス(ガブリエルではなくカール)は哲学者というよりも社会思想家。
辛口である。
表題、子供は哲学する
大人の中で考えている人は滅多にいない。
皆「思っている」だけで「考える」ことは実際難しい、と書いてある。
私の哲学ブームは、この気持ち悪さからだったかもしれない。医学部ゆえ一般教養は1年弱で、すぐ解剖学や薬理学、臨床実習に国家試験。合格すれば即仕事開始。
自分は世間の人と比べ、何か随分と欠けている気がして、ずっと気持ちが悪かったのだ。なーんも考えずに(「思った」ことは山ほどあるが)20年も働いてしまったな、倫理や歴史そして哲学とか勉強したいな、という具合。

3SNS
noteを始めておいて恐縮だが、私がマルクスガブリエルに興味を持ったのは「GAFAの統治に何らかの規制を」に賛同したから。
1995年~社会人なので、私まさにWindows初期世代である。電話のモジュラージャックを繋いでTCP/IP設定からである。最初はインターネット便利だな、だった。
しかし2000年代半ばからか「あなたにおすすめ」やら「今この宿を何人閲覧しています」になって、正直気持ち悪いのだ。おかげでAmazonもUber Eatsもやらない。私達世代にとって(おそらく著者池田晶子氏も)ネットの掲示板→SNSは便所の落書きか、昭和の喫茶店のノート、それは夫も同意見。
しかしである、子供たちZ世代?デジタルネイティブには、どうやら「別にいいじゃん、便利だし」なのだ。学校で米国に爆弾を落とされたことも習っているはずだし、北朝鮮や中国あたりが何だか怪しいのも知っているはずなのに。
同級生に私が「何もかもGoogleに牛耳られているみたいで気持ち悪い」と言ったらとても驚かれたので、自分がマイノリティで、まあまあの変人なのは自覚している。
著者池田晶子氏はワープロすら使わなかったそうだ。今時分存命していたら、このGAFA王国をどう考えただろう。

4文部科学省保護者アンケート
結論からいえば、家庭環境と学力の相関をデータ化するのだと思う。今どき手書きのアンケート、素敵な鉛筆まで付いてきた。
質問項目は中3娘の スマホ、ゲーム、TV、睡眠時間、両親の最終学歴、年収まで。勿論最初から「答えたくない」となれば、表紙にチェックして、即終了でも いい。
家にピアノはありますか?食洗機は?幼児期の習い事や、読み聞かせは?図書館に行きますか?
出たでー、お決まりの読み聞かせと図書館。
なぜなら、PTA役員時代に覚えているだけで2回、読み聞かせの勉強会があったのだ。
私は子供(小学2年以上)が読む本を、親が選ぶのは傲慢、ある意味虐待に近いのでは、と思っている。低学年で文字を習ったら、あとは子供が好きに選べばいい。親は金を出すだけだ。図書館も子供が行きたいというなら行けばいいと思う。読書は自由な世界がいい。
とはいえ私も幼児期に「絵本読んで」といわれれば布団の中で読んだりした。うちは軽いASDとADHD兄妹だから、睡眠時間さえ確保すば、任天堂もTVもDVDも無制限でやってきた。
なのに、PTA会長婦人ゆえの「読み聞かせ」の勉強会だった。言い訳になるが、保母さんや幼稚園教諭の読み聞かせには大賛成、何せ相手は文字を知らない幼児、先生はその道のプロである。
25~30歳くらいまでは、読書~想像力で前頭葉を鍛えると聞いたことがあり、私も読書のススメについて異議はなし。しかし、私はあくまでも子供の意思優先にしたい。
今後アンケートが集計され例えば、ピアノや読み聞かせイコール学力高い、なんてデータが発表されれば、本やピアノを強要する毒親や、データに便乗した教育産業が溢れると考えたら、悲しく、そして気味が悪いのだ。

追記
「知ることより考えること」帰路のひかり号で読み終えた。「週刊新潮」連載のコラム2005年(平成17年)から1年分とあったが、残念ながら著者は2007年春没、当時すでに闘病されていただろうか。
哲学者とはいうが、歯切れいい文で気持ちよく読みやすい。2017年16刷には驚いたけど。
歯切れのよさで、小中学生時代のコバルト文庫「氷室冴子」を思い出したが、お2人とも癌で早死で悲しい。そういえば森瑶子も。

文部科学省保護者アンケートについては批判するつもりは全くありません。むしろ750校に選ばれ光栄、ありがたや。子供は留学させたいか?家族旅行は?博物館美術館に行きますか?など私好みの質問もあったことを付け加えたい。

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