読書してみて考えた⑦小林秀雄と戦中派 追加分


日々の外来診療で苦手は色々ある。法律上診療拒否は出来ないから、何とかやりくりしてきたつもり。ただ柳田國男じゃないけれど、私の肌感、「身体性」から戦中派と団塊について考察したい。

1明治の女
私が研修医の頃には、まだいた。病院には、よそ行きのお洒落服で、和装の御婦人も。(若い人にはクロックスやキティのサンダルもいるのに)診療は軽装の方が有難いが。
明治生まれの女性(当時男性は少なかった)はぺーぺーの若手である私にも「先生」として接するから、こちらが恐縮するくらいだった。決して多くを語らず、付き添いのお嫁さんは口を揃えて
「うちのお婆さんは強い、明治の女だから」と言っていた。
今の若い人には信じられないかもだが、学校に行けなかったから文字が書けないという人、文盲(差別語になるかも)も結構いた。
「沈黙する知性」でいうところの
大人たちの沈黙には何かがある。何かを飲み込んでいるから沈黙するわけです。(略)大人たちは、子供にはうかがい知れない辛さや経験いろいろを飲み込んでいた、それを知っていくのが大人になるプロセスだった。
インターネットにはその感覚がないからSNSだと、黙っている人は「存在しない」ことになる。

ちょうど最近の衆議院選挙、毎日雄弁な語りが耳に入るから、余計に私は「沈黙は金」と思えてしまうのかもしれない。

2大正~昭和初め生まれ
大正15年(昭和元年)の寅年は元気だった。対して大正14年や昭和2年の患者さんは少ないのが不思議だった。恐らく大正生まれの男性は、そのほとんどが戦争に行ったのだろうから、ぎりぎり昭和元年が生き残ったということか。たまにシベリア帰りという大正生まれもいたが、流石の生命力、皆すこぶる健康な90代だった。
大正から昭和の初めは日本は景気が良かったようで、上昇志向の人が多い印象。
「沈黙する知性」より
(戦中派以前は)ある程度まともだった時代から急速に崩れていく過程を見ているわけだよ。だから、戦争が終わった後に、比較的まともな世の中に戻った、というふうにみることもできる。
私はこれが大正生まれ~昭和元年と、戦中派との決定的な違いだと思う。

3戦中派 昭和1桁
「うちのおじいさん(お婆さん)は、頑固で全く言うことをきかないんです。先生から言ってください」
対する私の答えは
「仕方ないですよ。お国に騙された世代だから、誰の言うこともきかないと思いますよ」
これは日常茶飯事。毎回、頑固な我が父を思い出しながらのやりとり。
10代の育ち盛りに食べる事も ままならなかったようで、食事のこだわりも強め。特に甘いものが好き。
また物心ついた時には物資不足だったのか、なかなか物が捨てられない。巷のゴミ屋敷には80代後半が結構いると思う。(50、60代のゴミ屋敷はこだわりの強い発達障害の人が多いような…)

4 昭和10年~20年初め生まれ
現在75~85歳の後期高齢者、私は午前中の外来が主だから、今や患者さんの半数近くがこの世代。男女ほぼ同数。
84になる母に言わせれば、空襲も、ひもじさも、教科書を黒塗りにした虚しさも、ちゃんと憶えているそうだ。そのせいか、大正~昭和1桁と比べると、控えめで自信なさげな印象。何もなくなった焼け野原からのスタートだから、新しい物事に対する抵抗感も低いように思う。母は男子校だった旧制中学(今は田舎の進学校)に同級生が女子第1号として入学したことをよく自慢していた。戦中派からすれば、羨ましい世代なのかもしれないが。
「知ることより考えること」探すのをやめよ、から
自分というものは、「わからない」のではなくて、自分というものは「ない」のだと、一度思い知らなければダメなのだ。大人は(子供に)そう教えるべきだったのだ。しかし、戦後の教育は逆に、「自分らしく」「個性をもって」生きなさいと教えてきた。そう言われたって、よくわからないそんなもの、見付かるまで探すしかないんだろうなあ。
昭和10年代生まれはきっと、戦後急に「自分らしく」と言われても戸惑っただろうと思う。幼少期は軍国主義だったんだから。アメリカは何とかして日本を「1億総火の玉」から個人主義にしたかったんだろうけど。

5団塊の世代
やっとたどりつきました、団塊の話。
反論覚悟で。
私は両親が戦前の人だから、外来をするようになって初めて交わるように。働き始めた頃は、50代男性苦手だな、くらいでそれが団塊の世代とは気付いていなかった。
ところが10年くらい前から、団塊が定年退職し午前の私の外来にもちらほらと。
「知ることより考えること」死んでも治らない より(2006年の文)
団塊の世代が還暦である。還暦というのは、読んで字の如く暦が一巡りすることだ。その意味で人生の一通りの終結と考えていい。(略)しかし、そんなふうに思っている還暦の団塊は、どれほどいるものだろう。「第二の人生これから」「老いてこそ恋愛主義」「生涯現役これが効く」まあ、それはそれでいいけれど、楽しく元気に越したことはないけれど、そればかりじゃないでしょうに。(略)
あの世代の人の一般的な特徴とは一言、「ものを考えない」、これに尽きると私は思う。騒々しい、落ち着きがない、すぐに徒党を組む、そして政治的である。御本人たちいわく、「社会変革の理想に燃えた世代」。ウソをつけだな。
社会批判をすることと、ものを考えるということは、全然違うことなのである。考えるというのは、黙って一人で反省する、内省する、思索する、ことを言うのであって、考えてるつもりだけの言葉を社会に向けて言っちゃいけないのである。(略)
みんなおとなしく会社員になったじゃないさ。(略)
還暦を迎える団塊文化人の言「俺たちの死に方を若者に見せるのが、これからの俺たちの務めだ」ああどこまでも勘違い。そんなもの他人に見せたってしょうがないのである、だって死ぬのは自分なんだから。


不謹慎ながら私はこれを読んだ時に、なんだかスカッとしてしまった。
私が苦手なのは、団塊の飽くなきアンチエイジング心と、その背中にちらつく、その他大勢(おかげで、私が負けですよ感)の強さゆえなのかもしれない。
一応言い訳、団塊にも思慮深い人はいるはず、ただなにぶん人数が多すぎて声の大きな人ばかりが目立つのだろうか。生まれてからずっと競争社会で仕方がなかかったのだろうか。私にはまだまだ勉強が必要みたいだ。

6最後に
余談になるが、私はご近所で何でも「歳のせい」という医者と噂されているらしい。
だって整形だもの、ケガや何か不慣れなことをせずに「痛み」があれば、それは体が己に忠告してくれていることが殆どではないのか。勿論、中には疾病(リウマチ、知らぬ間に骨折、内科的疾患など)もいるが。
かつては人生50年だったはず。私が子供の頃でさえ、50歳定年、70~80歳で亡くなる人が多かった。それを70歳過ぎた人に「年齢相当だから体を大事にして下さいね」は、悪いことなのかしら。以前のご長寿さん(明治~大正生まれ)は、「こんなに長生きしまって恥ずかしい」なんて言っていたけど。
私の個人的な推測だが、歳のものでも~関節症のように病名は付くから、「病気です」と通院をすすめるクリニックは日本中にあると思う。本来ならじっくり複数回話を聴いて、生活指導ができればいいのだが、医師には時間的制約があるから、物足りない人は 医療機関を転々としたり、接骨院や鍼→整体となるのだろうと思う。(病気ではないから効果あるよう)
話は戻るが、明治の女や戦中派には転々組は少なかったのではないか。団塊はその人数の多さゆえ、バブル時代の生涯賃金の多さゆえ、人生100年と不安を煽られて、「若々しくいたい」「絶対に寝たきりにはなりたくない」と、ジタバタしているように感じてしまう。
たまに「歳だから、分かっているから、湿布と痛み止めだけ下さい」なんて人に出会うと昔を思い出して懐かしくなる。そしてそんな人は大概、自立されていてご長寿。

こんなことばかり考えているから、なかなか再就職する気が湧いてこないから困る。早く今よりもっと白髪になって顔もしわくちゃになりたいな。そうしたら、貫禄ゆえ今より外来がスムーズに進むかな。いや待てよ、逆に「あのヨボヨボの女医さんは大丈夫なのか」なんて陰口されるな。
医者だってこの30年間、実質賃金上昇なし、むしろ下降気味なんだけどな。

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