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光(愛•生)を知るための闇(失•死)。だから両方抱きしめる

島暮らしを1年して、もうすぐ東京に戻るのですが。Facebookで繋がっていない、島でご縁のある大切な人に帰京することをLINEで伝えていくなかで、 

悲しいよ~寂しいよ~という返事のメッセージのやり取りに凄くパワーをもらいました。


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一緒に話していると元気になれるんだって書かれていて。 


凄くありがたくて、私がとても背中を押された感じがしたのね。

 

私のプロフィール見ていただいたらお分かりいただけると思いますが、 


基本、私はスーパーネガティブ人間で、闇世界の住人代表です。

 

が、なぜか人と話す時は、不思議とエネルギーを出します。

 妙な説得力があるとも言われます(笑)


私が鬱々するときは、人と話せていない時で、

島にきてしばらくは義両親以外の人と話すことが皆無で、病んでいたこともありますた。 


そう仕事も家庭も楽しくていい状態の時は、『話ができている』時。


どうやら私の闇が深い分、、光で人を照らすことができるらしい?は


今でこそHSPという言葉が知れ渡っていったけど、私もまさにそうで。

 

悲惨な家庭状況もあって、 
常に自分のセンサーを最大限に働かせてていました。それはまさにエスパーレベル。

 

例えば下の部屋で物音がすると、今、父や母がどうゆう感情で

どういう状況でいるのか…、見えるほど鮮明に浮かんだり。

3歳頃からそういった感度が高くて、隣の部屋にいる両親の『気』を感じ取っていたり、 


トランプの神経衰弱が強く、裏のカードが見えたり(透視)相手が次に何をめくって外すか…とかもわかる時があって(エスパーでしょ) 


今はもうその力はないけど当時はよく驚かれていた。


両親、祖父母、親戚、その場の『気』を感じとってはバランスをとろうと、 
言葉を発したり、行動したり、中和しようと子どもながらに無意識で動いていた。

 
気遣いの母がストレスを溜めていることに気付くと、 
母と父方の祖母の間に自分が座って、 
直接やりとりしないようさりげなく自分が座ってみたり、おどけたり。

 
幼稚園の頃は、この先生と、この先生は折り合いが悪いと職員室の雰囲気を見て感じ取ったり

5歳の頃入院していた時には、この看護師さんとこのお医者さんは馬が合わないんだなとか。

 
見ててわかるという、子どもらしくない子どもで(まるで名探偵コナンw)

 

そんな風に感じとってしまうと、自分も疲れてしまうから、どんどん保守的で控えめになっていって。

 

中学の頃に部活で友達同士のトラブルがきっかけで、ますます周りの目を気にするようになって。家でも学校でも休まらずセンサーが全開だから

 

中学生のある日、心と体が壊れてしまった。入院…w

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でもそんな自分が、一気に変わったのは高校生の時。

飲食店が好きで、新規開店の居酒屋でバイト。

どんなに満席でも、どの席のお客さんも手に取るように感じることができたおかげで、誰よりも迅速に動くことができた。

満タンになる前に灰皿を変えたり、空になる前にお替りを聞いたり、

各テーブルの食べ物や飲み物状況が頭の中にあったので

仕事の優先順位を組み立てることも容易で。

その時のオーナーさんには偉く気に入られて『さすが商人の娘だ』と、褒められることも多くてね。気の利くやつだったわけね。

まさか私の闇が活かされることになるなんて。

そしてその後、さらにコミュニケーション能力が鍛えられたのは、まさかの公園だった。

 

長男が歩けるようになるとすぐに毎日公園に通うようになって。 

当時は『公園デビュー』なんて言葉が流行るほど、ワーママも今ほどいないから、ママ友の世界にどっぷりつかっていて。

 

多い時では20組30組もの親子が遊ぶような少し大きめな公園で

気付くと一回り以上年の離れたママの

子育てや、夫婦間、お姑さん、親子関係の悩みなどを聴いたり、

いろいろな人の相談ごとを聴くことが多かった。

徐々にわかってきたのは、子育てや夫婦間の悩みはママ自身が抱えている何らかの問題が映し出されていうということ。

 

またその方の家庭の状況が見えるように感じることがあって。

ミラーニューロンが活性していたんだ思う。これについてはまた今度。 


ただ、これは女性に対してだけね(笑)男性嫌いではないんだけど、男性とコミュニケーションとるのはあまり得意ではないみたい(笑)


20代前半では、年齢関係なくたくさんの人と出会って話して分析を繰り返していたもんだから

不思議とそれが天職のようになってて。

 


とにかくその頃は毎日いろいろな人としゃべりまくっていた。

 
その後も、そうしたことが高じて料理講師などにスカウトされたりもして。 


おしゃべり好きなご年配の女性。料理の相談から始まり、最終的にはご主人や息子さんの悩みにすり替わっていたりして。 

その人の人生に触れる一瞬がとても好きだった。

そして30代に入り管理職になった時には、これまたスタッフさんの悩み相談を聴くことが多くて。いつの間にか、仕事のクオリティを上げることより、 


スタッフがいい状態で仕事に臨めるようにとメンタルケアをすることが私の喜びになっていった。


これまでいろいろな病気をして、痛い思いもして、なんでこの家に生まれたんだろうとか、自分の存在を否定し続けてきたけど、

深い闇は、自分と誰かを照らす光になるということ

最近ようやく認めることができた。


きっとこの人が今必要としてることってこれなんじゃないかなって。

その人の過去や出来事を変えることはできないけど

未来に向かっての第一歩を踏み出す為に

その道を照らす光を放てる人になろうと思う。


お読みくださりありがとうござました。

南の島より愛をこめて 

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