100%の正解
とてもとても久しぶりにnoteを再開することにしました。
霧島市横川町へ移住して1年5ヶ月、一般社団法人横川kitoを設立して1年6ヶ月、カフェオープンからは1年と1ヶ月半。
そっかー、どれもまだ一年とちょっとしか経ってないのか。
この一年ちょっとは私にとってとても長い時間で、楽しいことも多ければ、辛いことも投げ出したいことも怒ることもいろいろあり、「え、これ全部一年ちょっとの間のことなの」と改めて思うと気が遠くなって少し目眩が…というか涙がにじむ………
令和4年度もあっという間に2ヶ月過ぎてしまいましたが、引き続き今もこれからもいろいろ起こるわけです。
私は芯が強いことは強いんですが、誰かのちょっとした一言・ちょっとした表情の変化にもろにダメージ喰らったり、批判されると凹んで意外と長く引きずってたりするんですよ。
もう少し自律したいな、自分で勝手に感じてしまってるストレスを減らしたいなと思って、その時々で自分の考えと感情を可視化&整理するためにも、こまめに個人ブログ(note)を更新しようと思った次第です。
さて、今日も今日とてモヤッとすることはあるわけです。
めーっちゃ縮めて説明すると、「たしかに私に考えの足りないことがあったとはいえ、こちらの意図も工夫も何も確認せず一方的に考えを全否定するのってどうなん」ということがまぁあったんですわ。(ちなみに仕事ではなくプライベートの出来事です。家庭内でも学校関係でもないですので〜)
いろいろ言い返したい気持ちにもなったけど、その人の立場や場の雰囲気的に押し殺しました。
あの人はなぜそんな言動になったのか。
「そうか。自分の頭にあるものが100%正解であり、正すことが相手のためにも世のためにもなると信じているんだろうな」
推測ですけど恐らく外れてはいないかなと思います。
これって、誰にでもよくあること。
例えば子どもを叱るとき。仕事仲間に注意するとき。あー、自分もやっちゃってるなと思うんですよ。人の振り見て我が振り直せです。大反省。
100%正しいことって、世の中にどれくらいあるんでしょう。
世の中は人の集まり。常識はその時の人々の意識の集まり。
世の中を取り巻く状況が変われば常識も変わる。正解だと思っていたことが正解じゃなくなる。
たとえばジェンダーに対する認識の変化のように。
正解の押しつけは人を傷つけるし嫌な気持ちにさせる。
伝えるべきことがある時は、まず相手の考えや状況を知り、その経緯を把握した上で順序立てて伝えたほうが受け取ってもらいやすい。
まさにNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)ですね。これは自分の心に余裕がないとなかなかできないよなぁ。辛抱強さが必要だ。
●在りたい姿であるために余裕を持つ
●こまめに自分の心と状況を客観視&メンテナンスするためのnote
2つの明確な目標に辿り着かせてくれた今日一日をそろそろ昇華させよう。
気づけばもう日付変わって6月。趣きあふれる梅雨の横川がやって来る。
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