算数の勉強⑤
小学四年生の算数を、先生についていただき学んでいる。この日は比較的教科書の内容に沿って進んだ。
折れ線グラフ 2つのグラフをくらべて
2つの折れ線グラフを比べ、わかることを考える。1目盛りが表す大きさが違うと比較がしにくいので揃えるといいよ、1つのグラフに2つの折れ線グラフを書くことも出来るよ、という話。
例として、ある本屋で1月から4月に売れた乗り物図鑑と恐竜図鑑の月別売り上げ冊数のグラフがあり、どちらの図鑑も3月が一番売れて、4月、2月、1月の順に売れた冊数が少なくなる。
「乗り物より恐竜の方が人気ですね」
「売れた冊数で、どんな規模のどんな傾向の本屋かわかったりするんですかね」
「5月に売れる数をここから予想できます?2月や1月並みに下がりそうですけど」
「3月に図鑑がよく売れるのって、入学とか進学のお祝いに祖父母が買うからですよね」
などと私は好き勝手に話したのだが、先生は「はあ、そうですか…」というリアクションだった。
ほかに、東京とシドニーの月別気温を1つのグラフに折れ線グラフで書いたのだが、先生は「月別気温とは何か」を教えてくれた。授業の後、自分でも気象庁のHPを見てみた。月別気温とは月平均気温で、日平均気温は1時から24時までの毎正時24回の観測値の平均。月(年)平均気温は毎日(月)の平均気温の月(年)間の平均(気象庁HPより)。
シドニーの月別気温も(気象庁調べ)であることに、先生は「シドニーの気温も気象庁が調べたのだろうか」とおっしゃっていた。どこに問えばわかりますかね、と頻りに気にしていらしたが、私はそれに対しては「はあ、そうですか…」というリアクションになった。
数回授業を受けての感想ですけど、先生と私の気になるポイントの、ズレと一致がいい塩梅で、それも私が授業を楽しく受けられる理由になっている。
一けたでわるわり算の筆算
導入では、10枚の束になった折り紙と数枚のバラの折り紙を数人で分ける場面が描かれる。折ったパーツを組んで立体にした折り紙作品が挿絵的に配されていて、なんだか懐かしかった。一時期、立体折り紙にハマっていたことがある。
割り算は3年生で学習するが、筆算は4年生で習う。いわゆる「たてるかけるひくおろす」である。
「操作方法は言われた通りできたとして、その「意味」を理解するのはもっと後になってから」ということがありますね、とのコメントを、前の算数の記事でいただいた。手続きが出来たとして、意味がわかっているか問題は、さまざまなところで出現するが、とりあえず手続きができることもまた必要とされる力である。
2年くらい前になるが、学習支援の教室で「割り算がわからない」という子どもを担当した。そこから算数が分からなくなったそうだ。コロナもあるだろうし理由を特定はできないが「抜けている」知識があるな、というのがその子を担当した印象だった。
その時は、「割り算がわからない」という状況にどう対処したらいいかわからず、かけ算はわかるんだね、わり算はさ、かけ算がわかれば計算出来るよ、九九の表あるよね…みたいな話で繋いで、なんとか学習時間は終わったが、まいったなァ困ったなァという気持ちが残り、今も引きずっている。割り算わからん、となってから今まで、どんな気持ちで算数の授業を受けていたのかなあ。
結局、割り算がわかるようになんとかしたいけれど…で留まったのだけど、今も「なんとかしたい」と感じたり「自分に何が出来るか」を考えるときに思い出す経験の一つである。この「なんとかしたい」という気持ちが湧いてきたときは、誰かをなんとかしたいんだから冷静さが肝要であることは言うまでもないが、そう思う自分の気持ちを見つめることが、今の私にとってはより重要だ。「手続きが出来た方がよい」「わかる方がよいのだ」という価値観の問題だから。
というわけで、わり算に取り組んでいる。その子との時間は、いま私が算数を習う動機にもなっている。