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【本のない本屋】 書店員が選ぶ11月の本

 勤めている本屋で、おすすめの本を月替わりで紹介するコーナーがある。担当者は別にいるのでわたしが選書することはまずないのだけれど、わたしだったらその棚にどんな本を並べるだろうと、レジに立ちながら考える。お客さまが来ないときに、お客さまが来るのを待っている振りをして、考える。たまにぽかんと頭に浮かんだものを、スリップの裏にメモしてポケットにしまったりする。なんやかんやスリップの殴り書きが溜まってきたので、ここ(note)に置いてみようかな、と思う。ここなら店舗在庫がなくても追加発注しなくていいし、少々古い本でも絶版本でも、好きなように並べることができる。というわけで、特にテーマも決めず、思いついたものを並べてみたい。読んだ本の場合もあるし、読んでない本の場合もある。だれかが読んでいて、おもしろそうだな、そんな本を読んでいるなんてセンスいいな、と思った本もある。読みたいとは思わないけどだれか読んでみてくれないかなって本だって、あるかもしれない。わたしが読みたい本を、だれもが読みたいと思うはずはないものね。実際のところ書店員も、たとえ読んでいない本だって、どこかに必ずいるはずの、その本をすきな人に届け〜と思って並べているんだもの。
 タイトルは、アンデルセンの『絵のない絵本』に倣って、『本のない本屋』と名づけた。

 それでは、どうぞごゆっくりご覧くださいませ。

 もし実店舗の棚ならば、この企画に与えられた棚に2段あるうちの、2段めの右端にそっと置きたい本である。
 ほかにどんな素晴らしい本がたくさんあろうとも、わたしが一冊めに選ぶのは堀江敏幸の本でありたい。そう思ってこの本を選んだ。
 堀江さんの本に出会って、わたしは「小説とはこういうものなのだ」ということを理解した。彼の作品に出会わなければ、わたしは一生ミステリばかりを読んで過ごしていただろう(それはそれで素敵な一生ではあるけれど)。
 堀江敏幸の作品は、わたしの「小説って何なんだろ?」というぼんやりとした問い(けっして「小説とは何か」といった高尚な問答ではない)に対して、「ああ小説ってこういうものなんだ」というぼんやりとした答えを示してくれた。わたしの小説への問いかけに終わりを与え、そして再出発させてくれたのだ。
 堀江敏幸を語りだすと終わりが見えないからこの辺にしておくとして。
 『おぱらばん』とは、『オパラヴァン』と発音されるフランス語で、「ふたつの行為の時間差をはっきり示すために用いられる」言葉である。日本語の「以前」に相当するという。
 パリ郊外の宿舎に住む「私」が、同じく住人である中国人留学生の『先生』が卓球の名人であることを知った、ひとときの興奮。「わたしも卓球をやっていました、”おぱらばん”に!」
 堀江敏幸をはじめて手にとるなら、『おばらばん』が最適だろうと思う。

 2冊目は、一番上の真ん中に置きたい本。でもわたしはまだ読んでいない。読みたい本である。
 お客さまが買っていかれる本で、ああいいな読んでみたいと思う本は、たくさんある。この本は、あるお客さまが予約注文されており、入荷してきたときに「なにこれおもしろそう!」と表紙を見ただけで思った本だった。
『ショートケーキは背中から』というタイトルがそもそもおもしろいし、装丁も目を引く。帯に書かれた「やっぱり虚無にはごはんが効く。」という言葉も秀逸である。このタイトルで食エッセイだというのだから、真っ向勝負をしかける変化球といった感じがして好感度は大。ああ〜買おっかな。読んでみたいな。

 こちらもエッセイ本とのことで、またまた読んでません。でも、読みたい。
なぜならば、作者の名前。小原晩、おばらばん。おぱらばん?!
 実はこちらの本も予約注文されていた本だった(予約していたのはスッタフだったけれど)。変わったタイトルだとは思ったものの、最近の書籍は奇をてらった題名がつけられていることも多いので、それだけだったら手にとりはしなかっただろう。ただ、予約本の処理をしているときに何となく奥付けを見ていると作者の紹介文が掲載されていて、そこに「小原晩(おばらばん)」と書かれているのを見たときの、衝撃! ああひらがなの、ふりがなの衝撃たるや。筆舌尽くしがたいとはこのこと。こんな言葉はじめて使ったけれど、まさにぴったりの心持ちになったのだ。えっ?! おばらばんさんですか? あなたも堀江敏幸さんのファンなんですか? もし堀江さんを意識して筆名をつけていたらセンス抜群ですね! こんな偶然本名とは思えないけれどもし本名だったら運命の子として崇められてもおかしくなくらいの素晴らしい偶然。でも多分筆名ですよね。この筆名をつける人というだけで、読んでみたい本。

 さて、つぎは趣向を変えて言葉の本から。
『外国語の水曜日:学習法としての言語学入門』の増補版。わたしは旧版の方を持っているが、新版の方も欲しいな〜と思ってしまう今日この頃である。
 著者の黒田龍之助さんはロシア語の専門家でNHKのラジオ講座などを担当しておられた方。言語学にも精通していて、とにかく言葉に詳しい。
「ムーミンを世界一苦しみながら読む青年」とか、章題を見ただけで読みたくなるよね。

 外国繋がり? でもう一冊。こちらはフィンランドだが、言葉に関する本ではない。世界幸福度ランキング7年連続で1位に輝いた、フィンランドでおこなわれている授業をとおして、生き方を考えるヒントになる本。
 読んだからって幸福になるわけじゃないけれど、生き方のヒントになるのなら、自分にとって良さそうと思える考えだけを頭の片隅に置いておきたい。そういう、ほんのちょっと自分を手助けしてくれるかもしない本。

 小説も紹介したいよね。こちらは第171回芥川賞受賞作。
 右半身には瞬、左半身には杏、ひとつのからだを生きるふたりの女性の物語。結合双生児のなかでもきっとすごくめずらしいのだと思う。外から見たらひとりなのに、中にはふたりの姉妹の意識があって、よく見れば右と左でほんのすこしずつ違っている。片方が死んだら、もう一方はどうなるのだろう? 
 著者の朝比奈秋さんは前前作の『植物少女』で知ったのだが、今村夏子以来、この人は絶対に芥川賞を取るだろうとはっきりと思えた人だった。芥川賞作家の中で数えるほどしかいない、わたしの推し作家のひとりである。ちなみに前述の堀江敏幸さんも芥川賞作家で、現在は選考委員をされている。

「クラフト・エヴィング商會」名義で装丁の仕事をしつつ、言葉好きが高じて自分でも小説を書いちゃった人、というのがわたしの吉田篤弘の印象。この方の本を読んでいると、本当に言葉が大好きなんだな、と思えてくる。
『針がとぶ』は7つの短編からできていて、まったく難しくなく、するすると読んでいけるのだけど、いくつかの物語を読んだところで、「あれ? もしかして…」という思いが浮かんくる。言いたいけれど、これ以上は言えない。読んだ方その人に体験して欲しいから。解説が小川洋子さんなのだが、「肩を寄せ合う七つの物語」と書いていて、まったくその通り! と思った。

 もう一冊、小説から。
 ノーベル文学賞作家のアニー・エルノーの、母親について書かれた作品。アニー・エルノーの作品は実体験に基づいて書かれていることがほとんどで、こちらも実母とのことが書かれている。
 簡潔且つ聡明な文章で、抗いきれない欲望を描き出すのが作者の特徴であるが、『ある女』は、自身と母親との微妙な距離感や関係性をいつもの簡潔な文章で書いている。後半の、母親が認知症を発症したあたりの描写は、とりわけ素晴らしい。

 最後はハンス・クリスチャン・アンデルセンの『絵のない絵本』を紹介して、この辺で終わりにしようと思う。

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