話さないのにも理由がある
ヤングケアラーや若者ケアラーが自分のしんどさをなかなか話せない・話さない裏にはたくさんの理由がある。
そんなことを言ったら家族に悪いと思ってるから。
家のことや家族のことを他人に話すべきじゃないと思っているから。
自分が人に話す必要があるほどしんどい状況だと思ってないから。
そもそも自覚がないから。
モヤモヤをうまく言葉にできないから。
毎日がしんどすぎて話す気力もないから。
話したところでわかってもらえないと思っているから。
話しても生活がラクになるわけでもないし何も変わらないと思っているから。
前に話してみて嫌な思いをしたことがあるから。
自分の家での生活を知られたくないから。
かわいそうな人と思われたくないから。
…
以前、元ヤングケアラー同士で話しているときに、友だちにはケアのことをなかなか打ち明けないよね、という話題になったことがあった。
彼は自分が人にケアのことを話さない理由をこう語った。
「聴くのもしんどいじゃないすか。だって俺、病気の母親の話し聴いてるのずっとしんどかったんで。だからこそ、人に話したら悪いなぁって思うし、話せないんすよね」
それはわたしにも覚えがある感覚だった。
正直、しんどい人の話を聴くのは気力がいる。わたし自身は家族だからグッと堪えるけど、自分がしんどいと感じる同じことを人にはできない。その気持ちがよくわかる。
でも、そうなったらケアラー自身の心の受け皿はどこにあるんだろう。
「それ、めちゃくちゃわかります」
そう言うわたしに、彼は少しホッとしたような顔をしてから、バツが悪そうに苦笑った。
もしかしたら言いながらも、母親への罪悪感が過ぎったのかもしれないなぁと感じた。
話すのにも理由があるように、話さないのにも理由がある。
ヤングケアラー支援という名の下に、いかに子どもに口を開かせようかと画策するのはそもそも本人たちの気持ちから逸れていくナンセンスな行為だと思う。
大切なのは、その人の気持ちであり、その人の背景を想像すること。想像できなくても、何かしらの背景があるということを前提に、おおらかに接すること。
大人がみんなそうなってくれればなぁ、なんて夢物語みたいなことを考えている。
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