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Photo by
takasaba
ほしいのは「理解」と「寄り添い」
わたしがヤングケアラーだった頃、大人に「元気そうでよかった」と言われることが嫌だった。
たとえば母のお見舞いに来て、母に付き添うわたしに「あなたは思ったより元気そうでよかった。お母さんのことちゃんとみてあげてね」と笑顔で立ち去る大人を見て、はじめは曖昧に笑って頷いていた。
でもだんだんといろんな大人に言われるたびに、「ああ、この人がそういうことにしたいんだな」と感じるようになった。
親が大病に苦しんでいるのに、溌剌と元気な子どもなんてこの世にいるんだろうか。不安じゃない子なんているのかな。
わたしはこの言葉を言われる度に、面倒ごとを片付けられるような、ちゃんと向き合ってもらえていないような孤独を感じた。
実際にそういう大人が「困ったことがあったらいつでも連絡してきて」なんて言った試しはなかった。
大人は子ども相手となると、すぐに想像することを放棄しがちだ。
それは子どもよりも自分の方が人生経験豊かだと思い込んでいるから。
でもよく考えてみてほしい。
もしその豊富な経験の中でもしたことのない経験をその子がしていたら…??
子どもに接するときも、大人相手と同じか、むしろ子どもはうまく言語化できない分、大人相手以上に想像力を働かせてほしい。
「元気そう」と決めつけるのではなく、「元気?」と聴いてあげてほしい。
ほしいのは決めつけでもアドバイスでもなく、理解と寄り添いだった。
このことを忘れてはいけないと、大人になって支援する側になった今、改めて思う。