やさしさを受け取れたなら
「やさしさを受け取るにも余裕が要る」ということを、最近つくづく思う。
子どもの頃から母親のお世話をしていく中で、たくさんの大人がわたしに声をかけてくれた。
「いい娘さんやね」
「あなたがいてお母さんは幸せやね」
「お母さんのこと、頼んだよ」
「元気なあなたがしっかりしなきゃね」
「親孝行はできる時にするものだよ」
「神様は乗り越えられない試練は与えられないよ」
「まだまだあなたは人生これからなんだからがんばらなきゃ」
「女の子がこの家にいて本当によかったな」
しんどかったなぁ。
はじめは誇らしい気持ちもあったけど、何年もいろんな人に言われるとだんだんとプレッシャーになっていったし、ささくれだった心には正直キツい時もあった。
母がこの世を旅立った時、母の昔の知り合いが家にお線香をあげに来てくださったことがあった。
その方は数年前に、旦那さんを心筋梗塞で突然亡くされていた。
「お別れの時間があっただけあなたはまだマシよ」
そう零されて、なんにも言えなかった。
そうなのかもしれない。そうだよな。うん…
そう自分に言い聞かせてその場をやり過ごした。
でも母を亡くして数週間のわたしは、比べられるものでもないのにそんなこと言うなよって腹の底では思っていた。
あれだけ苦しんで、闘って旅立っていった母のこと、家族のつらさも哀しみも、見ていたわけでもないのに。簡単に自分のものさしで測るなよって思った。
母がこの世を旅立ち、眠ることも起き上がることもできない日もあった。
そんな時にある歌の歌詞とともに「私はつらいときこれを口ずさんで過ごしています。あなたもそうしてね」とメッセージを送ってきてくれた人がいた。
しんどかった。
それどころじゃないよ。
歌ってどうにかなる、気がまぎれるような話じゃないよって怒りすら湧いてきた。
そして何よりそんなことを思ってしまう自分がしんどくて、嫌で、もう人とは関わりたくないと思ってシャットアウトした。
人はあまりにも心の余裕がなくなると、人のやさしさを受け取ることができない。
今月に入って、たくさんの人と出会った。
旅行に行けば、外国人観光客の方が落としたペットボトルのキャップを一緒に探して見つけてくれたり、コインロッカー難民となり途方に暮れているところ肩を叩かれてジェスチャーで空きロッカーを教えてもらったりした。
バスの窓を開けようとして力が足らずに開けられなかった時は、代わりに開けて眩しい笑顔を見せてくれたこともあった。
日本にいて、日本人のわたしが助けられるなんて考えたこともなかった。
初めて会った女性(旧友のご家族)は、わたしがガンダムを好きだと言った一言を聞き逃さずにすぐにお台場へ連れて行ってくれた。今まで別の時間を過ごしてきたことを惜しむように、言葉を交わした。
そうしたことをきっかけに過去をふと振り返ると、あの時のあの人の言葉はやさしさだったんじゃないか?
そんな記憶がわたしの中で連鎖的に蘇り始めた。
ちゃんと受け取れなかった。
自分の思っている形のやさしさ以外は受け取ろうとせず、無かったものにしたこともあった。
人のやさしさに時間差で気がつくと、それはドミノ倒しのように。針の筵のように見えていた世界が、やさしい世界に変わっていく。
子どもの頃から必死でがんばって、母を守ろうと鎧を着ていた自分。
その子の元にも、やさしさが逆流して伝わっていく。
10歳の頃のひとりで部屋で泣いていたわたしが顔を上げる。自分の世界が変わっていく。
この数週間で、そんな経験をした。
人にはやさしさを受け取ることがむずかしい時がある。多感な時期の子どもなら、なおさら。
でもそこで「せっかく言ってやっているのに!」と怒ってしまうと悲しみしか連鎖しない。
怒りの根底にあるのは、「理解してほしい」という切実な心。
そんな心を大きな愛で包み込む、余裕のある豊かな大人が増えてほしいし、自分もそうでありたいと思う。