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村上春樹『猫を棄てる』雑感

村上作品において「猫」は印象的なモチーフの一つだ。

『木野』では、主人公の経営する喫茶店にある野良猫がやって来るようになるのをきっかけに、喫茶店には客が入るようになる。『木野』だけに限らず、村上作品の中で「猫」は頻繁に登場し、彼らは幸福を運び、かつ幸福そのもののメタファーとして存在する。

作家村上春樹としてのルーツを初めて綴ったエッセイ『猫を棄てる 父親について語るとき』は、海辺へ猫を棄てに行ったという父親との思い出から始まる。

父・村上千秋は京都の寺の次男として生まれ、文学を愛する人であったが、戦争に駆り出されるようになり、彼の運命は大きく変わるようになる。彼が戦争下の中国で体験した体験は本人から語られることはほとんどなかったようだが、その経験は村上春樹に「引き継がれる」ことになる。

後書きの中で村上は「歴史は過去のものではない。」と語っている。その通りだと思う。ある事象は歴史の中で人々に受け継がれていき、記憶となり残る。そして時にその記憶はメッセージ性のあるものや思想的なものへ、時にはある史実として、変容し引き継がれていく。ある特定の事象について描いたものでも、描き手によってその表象が異なるのは受け継いできた記憶が相異なるからだ。

映像作品において、戦争表象とプロパガンダが人々の記憶に与える影響について研究している私にとって、村上家に引き続かれていく「小さな歴史のかけら」は重要な意味を果たしている。現在世界で機能している記憶も思想も、このような「小さな歴史」の積み重なりなのだ。

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