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サーファー 中年の壁

以前にも書いたがnoteとサーフィンの相性はあまり良くないようだ。それを裏付けるように、サーフィンを話題にしてもあまり反響が得られない。

単にそれに関わる人口のせい、と思うことなかれ。

実はサーフィン人口というのは想像以上に多くて、確か野球やサッカーよりも多いのではなかったか。まあ、どの程度から人口に含まれるのか、という明確な実施頻度や技術レベルの基準が無いので、あまり単純に比較できるものではないが。

それにしても、バイクに関することを書いた場合とサーフィンに関することを書いた場合の反響の差を考えると、サーファーという属性の人々に対して、(あまり字を読まないのか?)という疑いを持ってしまう。

まあ、僕らの若い頃は道具の選択肢も少なくて、体力自慢か異常なしつこさを持つ輩だけがサーフィンを続けてきた。だから、そこに人の言葉に耳を貸す者が少ないのは必然のような気もする。

特に体力と根気が必要なショートボードに乗る連中は、柔軟な思考からは遥か遠い場所にいる。彼らの信仰は筋力と自然を教義とした、原理的かつプリミティブで土着のものなのだ。
一見、自由そうな雰囲気を纏っているように見えても、実情は厳しい戒律と忍耐の基に成り立っている。そんな彼らが自分の生活圏に属さない人間の言葉に価値を見いだす筈もない。

などと書くと海で殴られそうだな。しかし僕もショートボーダーなので許していただきたい。

さて、そんな僕も今、分岐点に立っている。
年齢を重ねて来たことで、体力的な衰えを感じるようになってきた。そして、もっと悠長に趣味を楽しみたいと感じる。
そろそろロングボードに改宗しても良い頃なのでは?と思うのだ。

(※ロングボードはその名の通り、大きくて長い。約3mもあるのでゆったりとリラックスして乗るのがセオリー。対してショートボードの長さは1.6~1.8mで、波を縫うように走らせる。割りと激しい動きなので、おじさんがドタバタやっていると哀れな姿になり易い。)

まあしかし、そうは問屋が卸さない。
なぜって、今持っている数本のボードは40歳になる頃から「50歳まで使うことができるように」というつもりで購入してきたので、体力的にはまだ全然乗れるボードばかりなのだ。まだまだ大事に使わないともったいないし、無理と決めつけるのは「甘え」にも感じる。

そう、つまるところ、衰えは体力的というよりも精神的なものに由来している。「やる気がでない」とか「根気がない」という明らかな自覚は無いのだが、何となくリズムが合わない、そんな感覚がある。ショートボードはロングボードと比較すると早い身動きが要求される。時々その要求に応えられなくなってきた気がする。そしてそういう時は、カッコ悪い姿勢、ダサい動きをしているように思う。

これは僕の目指すところではない。僕はできれば自然(nature )と美しいダンスを踊りたい。それは客観的に見て、無理なく流暢で角の無いもの。はじめから終わりまでが淀みなく、1本の線で描く事ができるような明解でシンプルさを持ったものでありたい。他者から見て「気持ち良さそう」と見えたら最高だ。
理想はそこにある。

そこに近づくための選択、と考えるならば「甘え」ではなく「追及」と言えるのじゃないだろうか。それであるなら、衰えや減退といったネガティブなイメージではないし、ロングボードに手を出してみるのも前向きな気持ちでできる。


うーん、どれどれ?ロングボードは…  30万!?
……………….。
なしだな!