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【ミュージカル】《後編#4》『キンキーブーツ』の楽曲を楽しむ〜ローラの解体新書編

ミュージカル『キンキーブーツ』のレビュー《後編》の#4です。今回はローラの人物像を楽曲から紐解きます。題してローラの解体新書です。

《前編》では、作品全体の見どころにについて書きました。盛大なネタバレはしてないつもりなので、これからご覧になる方もお読み頂いて大丈夫です。

《後編》はネタバレありの楽曲レビューシリーズです。
順番に読んで頂くのがおすすめですが、お好きなところからでも、大丈夫です。ネタバレはやだよ、という方は#1ローレン&チャーリー編の「まずCDジャケットを愛でてみる」だけで離脱する事をお勧めします。

#1 ローレン&チャーリー編
#2 オープニングナンバー編
#3 ローラのプライス&サン改革編
#4 ローラの解体新書編(←ココ)
#5 ストーリーの回収編

今回は、ローラの人となりがわかるナンバーをレビューしてみたいと思います。

ローラが出演するナンバーのうち、ローラ自身の事を歌っている曲は、2曲あります。まず、『Land of Lola』で、ローラ様について自己紹介します。とても華やかなナンバーです。一方、男装でサイモンとして歌うバラード『Not My Father’s Son』では、ローラという鎧の下に隠された人間サイモンとしての、心の闇を吐露します。
衣装も曲調もまったく趣きの異なるこの2曲を紐解きながら、ローラという人について理解して行きたいと思います。

ドラァグクイーンとしてのローラ『Land of Lola』

『キンキーブーツ』といえば、『Raise You Up / Just Be』と並ぶ代表曲と言ってもよい『Land of Lola』。
曲の冒頭は、「ロォ〜ラァ〜♪」と、まるでファンファーレのようです。

夜の裏道で、酔っ払いが喧嘩をするシーンから、一瞬でショーパブの舞台に場転をする時に鳴り響く「ロォ〜ラァ〜♪」。まるで音による目眩しのようで、アワアワしていると、エンジェルスがどかどか出てきて、あっという間に真っ赤なドレスに身を包んだローラ様がセンターで決めポーズ。で、「ロォ〜ぉ〜ラァ〜ぁ〜♪」。

この流れ、つまり、イントロから決めの「ロォ〜ぉ〜ラァ〜ぁ〜♪」まで、実際に観ているとほんの一瞬に思えるのですが、なんと25秒ほどあります。
え?そんなにあった?と。
おそらく人生で最も短く感じた25秒。
音楽のインパクトとエンジェルス達の美しさが、時間の流れをおかしくしています。

で、この冒頭のインパクトに加え、とにかく早口で、聴き取るのも、字幕読むのも、色々追いつかない。振り付けとカメラワークもかなり動的で、ど迫力すぎて目がどこを観ていいか迷ってるうちに、一曲終わっちゃった。もともと何度も曲は聴いてたはずなのに、わけがわからないうちに、オーバーヒートした脳からプシューと煙が出たのが自分でもわかりました。

なんなの?この曲?!

が、初めて観た後の、唯一の感想でした(笑

で、改めてですが、この曲は、ローラのショーでのパフォーマンスの体で、オープニングナンバーに出てこなかった大人ローラの今を歌っている曲です。
ウィットに富んだ言葉選び、韻を踏みまくりのリズム感のよさ、ドラァグクイーンならではのハメを外しつつ、誇りに溢れた詞と、エンジェルスの美しさを存分に生かす華やかな演出で、観る人を『キンキーブーツ』の世界に釘付けにする一曲です。

実質、ローラにとってのオープニングナンバーであるこの曲は、『The Most Beautiful in The World 』と同様に、とにかく伏線だらけです。

いきなり冒頭からこんな感じ。

Leave expectations at the door
Just let your eyes explore
My cinematic flair
From my boot to derrière
I've got a lacy silken feel
With arms as hard as steel
I am freedom, I'm constriction
A potpourri of contradiction

常識はすべて入り口に置いといて
ちゃんと自分の目で見てね
まるで映画から飛び出したような
足先からヒップのラインを見てよ
シルクのような触り心地の
鋼のような腕
解放される
締め付けられる
私はそのどちらでもないし、どちらでもあるの

(Ricky テキトー解釈)

テキトーが炸裂しておりますが、とにかくお洒落な比喩のオンパレードなのです。
この訳でいいのかわからないので、今回は「テキトー解釈」にしました(弱気でごめんなさい)。
まず、「door」は、いろんなものの象徴です。
観客(作品上もリアルでも)に、とりあえずあなたの期待や常識は劇場のドアに置いておいて、「まっさらな心」でこのショー(作品上もリアルでも)を見てね、というのが、表面上の意味です。
それに加えて、例えば、後に、男装のローラは、なんだか落ち着かなくて、すぐにトイレに隠れて鍵をかけてしまうシーンがあります。ローラの心にはドアがあって、なにかの瞬間パタっと閉じてしまうナイーブなところを表しているのかなとか。
いろんな想像が広がるフレーズです。

その後の「lacy silken(絹のレースのような)と「arms as hard as steel(鋼のように硬い腕)」は、女性と男性の象徴。
とすると、その前の「my boot to derrière(ブーツからお尻)は、男性でも女性でもない、ローラという「性」を象徴するものなのかもしれません。
彼女が脚の見せ方になぜこだわるか、の答えがここにさりげなくあるわけです。
なんてったって、脚のラインは、男女に関係なく美しいのですよ。エンジェルスを見れば一目瞭然。

freedom(自由)は、男女という社会通念から解放されているローラ、constriction(窮屈)は、それでもまだ縛られているローラの事です。
ローラも、まだその葛藤の中にいる、とここでわかります。potpourri of contradictionは、そういう矛盾が入り混じっているのが自分なのだ、という意味なのかな、と。
だから、プライス&サンに参加ししたばかりの頃、みんなに受け入れてもらおうと、らしくない男装で現れるわけですね。

このパートで、注目すべきことをもうひとつ。ローラは、自分の事をcinematic flair(映画のようなセンス)と言っていますが、flairはもともと「香り」という意味のある単語です。で、最後の部分で使われるpotpourri。ここでは「いろんなものがまざっているもの」と言う意味なのですが、日本語で言うポプリの事も指します。双方に香りにまつわる単語を使って、ローラの持つ映画のような香りは、いろんなものが混ざり合ったポプリのようなものなのよ、と言う表現にもなっているわけです。
ふっ深い。

さらにこう続きます。「憂鬱で退屈な日常は置いといて(Leave that humdrum place of glum behind)」「私が吹き飛ばしてあげる(let me blow your mind)」と歌うローラ。
パブの客も『キンキーブーツ』の観客も、まとめて夢の世界へ誘うローラの事を、自分でこう歌います。

like je suis ooh-wee that's me Ebony

言ってみれば、まあ、ふつうに黒人よ

(Ricky テキトー訳)

これは聴き取れなくて、ググって調べまくりましたが、たぶんこれで合ってるはず。「je suis」はフランス語で、「I am」の意味です。
ローラは黒人の役なので、自分のことを黒人よ、と言っています。Ebonyはもともと黒檀の意味ですが、黒人を揶揄する表現として古くからある単語でもあります。
アフリカン系の人を揶揄する目的で、黒いものに例える事はもちろんタブーですが、ここでは、ローラは自分で歌っているわけなので、オッケーなのか?でも、なんとなく、フランス語を使っていたり古い表現を使っているのが、ちょっとエレガントに気取ってみせていて、ローラの黒人としてのプライドを感じる使い方ではあります。ちなみに、黒檀の原産はスリランカやアフリカだそうで、黒ければ黒いほど価値があり、磨くと光る。

現代的なよくある差別的な表現を使わずに、あえて古臭いEbonyを使ったのは、そのあたりも考慮した比喩なのかも知れません。

また、ローラは自分の事をキリストやマリアに喩えている下りもあります。この作品で、宗教的な話は特に出てこないので、単なるカリスマ性のたとえかなと。「Ebonyだけどカリスマよ」と歌っているわけです。

フランス語が出てきたり、キリストが出てきたり、ちょっと小難しい単語を使ってみたり、ローラの独特の世界観を表現するのに、こう来たか!と。Cyndiのセンスの良さがキラリと光るなぁ。

というわけで、ここまでを整理しますと、

・ローラは黒人
・脚の美しさにこだわるドラァグクィーン
・男でも女でもなくて、でもその事で葛藤を抱えている
・夢の世界に誘ってくれる存在
・教祖的カリスマ

という事がわかります。

この後はこう続きます。

(Let Lola lift you to your highest high) Get you till your highest highs!
Let's explore your flight of fancy tonight
(She's gonna treat you right) I'm gonna treat you right!

(ローラが最高の気分にしてさしあげましょう)最高の上の更なる高みへお連れします
今夜、あなたをおとぎ話の冒険飛行にお連れします
(ローラは悪いようにしない)私も悪いようにはしないわよ

(Ricky テキトー訳)

もうここまで盛り上がってくると、どこへでも連れてってーという気分になります。

勘の良い方はピンと来たかもしれませんが、ここでローラは「lift you」と言っています。「アゲアゲの気分にする」という意味のlift。
これは、ラストナンバーの『Raise You Up / Just Be』に繋がっていきます。
落ち込んでるチャーリーを元気づけ、傾いているプライス&サンを元気づけ、観客も元気になる『キンキーブーツ』のキーワードが、最初に出てくるのは、ここだったのでした。

というわけで、ローラの抱える複雑な心情も、プライドも、彼女の存在が人に与える役割も、そして、この『キンキーブーツ』という作品が目指すところも、ぎゅっと詰まった一曲。最小限の語数によるスピード感と、考え抜かれたお洒落な表現の歌詞。Cyndi様、これぞ神の仕事です。

1人の人間としてのサイモン『Not My Father’s Son』

ローラが、サイモンとしての心情を吐露する『Not My Father’s Son』。

歌のタイトルが、グッときます。
「son」なんですね。息子。
ローラは、普段あれだけ強気に、男でも女でもない謎の性別で生きているのに、父親との関係に置いては「息子」、なのです。
しかも、直訳すると「私の父親の息子ではない(私)」というタイトルです。
自分のアイデンティティの根幹を、全否定の破壊力。
ローラの心の闇が、闇すぎて、タイトルだけで心が潰れそうになります。

子供の頃、父親と同じようにボクサーになる事を期待されていたサイモン少年。
期待は鬱陶しかったけれど(under my skin)、父親を困らせたくなくて(not like some albatross)、渋々従っていました。

一方で、父親もまた弱い人だった事が伺われます。
自分の息子がファイターには向いていないと認める事がどうしてもできない人だった(「To breathe freely was not in his plan」ローラが自由に生きることは、父の計画の中になかった。)
また、ローラのホントの良い面には、まったく無理解だったのです(「the best part of me
Is what he wouldn't see」私の長所は父の見たくないものだった)。

そこで、ローラはどうしたか。

So I jumped in my dreams and found an escape
Maybe I went to extremes of leather and lace

だから、私は夢の世界へ飛び込んで、
逃げ出した
ボクシングでもやれたかもしれないのに

(Ricky テキトー訳)

この「leather and lace」の解釈は色々あるようです。laceは、結んである紐の事を指す単語で、転じてレース編みの意味でも使われる事がありますが、本来の意味は「結んである紐」。
なので、私は最初に聴いた時「革と結ぶ紐」で、ボクシングのグローブの事だと思いました。と同時に、紳士靴も思い浮かべて、「あー
この曲は、チャーリーが歌ってもおかしくないんだなと、曲の上手い作りに、感嘆したのです。

ところが、公式訳では、「革とレースの世界へ飛び込んだ」的な訳になっていて、ショービズを指す言葉になっている。
あれれー?真逆じゃないかー!

ま、どっちでもお好きなように解釈すればいいのですが、ここではRicky解釈で行きます。

Maybeが付いているから、「たぶん」ボクシングの世界でまだやれた事があったのに、父親が自分の事を認めてくれないがゆえに、父親からescapeした、と歌っているのかなと、考えます。
「Maybe I went to extremes of leather and lace(たぶん革と紐の厳しい世界へ行っていたかも)」の1フレーズがあるために、父親に対してすごく申し訳ない気持ちがあり、向き合って来なかった後悔があるように感じられるのです。

ローラは、認めてもらいたかったのに、逃げてしまって、自分から認めてもらう機会を潰してしまったと思っています。
たとえ、認めてもらう手段がボクシングでも、それでも、やるべきだったと、もっと父親ときちんと向き合うべきだったと後悔しているのです。
それほど、父親に対しての承認欲求が強い。それがローラという鎧を着たサイモンという人なのです。

これが、到底わかり合えないと思われるドンとガチでやり合ったり、一旦は決裂したチャーリーの言葉にちゃんと耳を傾けるなどなど、ローラの、窮地にあっても人とちゃんと向き合う事ができる人間性の原体験なのでしょう。

そして、葛藤の末、ローラが至った心境が、『キンキーブーツ』が伝えたいメッセージのひとつに繋がります。

The endless story of expectations swirling inside my mind
Wore me down
I came to a realization and I finally turned around
To see
That I could just be me

今も心の中に渦巻いている重圧の話はきりがないわね
ほんとに辛いことだった
わかったの
ついにわかったのよ
つまり
自分は自分でしかいられなかったってこと

(Ricky テキトー訳)

ボクシングを途中で投げだした自分を責めつつも、自分でいるためには、逃げ出すしかなかった。わかって、パパ!という心の叫び。

切ない。
父親への愛をここまで歌う歌、あるだろうか。

父親の思ったやり方ではなかったかもしれないけど、サイモンは、スパルタのような強さもヨブのような忍耐も、しっかり身につけて、立派に育ってますよー、お父さん!と言いたくなります。

この曲は、よく、ミュージカルには珍しい男性のデュエットと言われる事があります。
実際には、ほとんどがサイモンのソロなのに、なぜそう言われるのか不思議だったのですが、先程触れた「革と紐」の件もそうだし、その後の部分で、ハイヒールに魅せられた下りも、チャーリーが歌っても、違和感のない歌詞なのです。チャーリーは作る方だけれど。
演出上は、チャーリーは聴いている格好にはなっていますが、心の中では一緒に歌っているよなぁと。
うんうん、やはりこの曲は、ミュージカルの中では出色の男性デュエットソングなんだと思います。

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