歌いながら踊るという奇跡
先日、ミュージカル好きの友人が、
浦井健治さんって若い時から、歌が上手いんだよね。どういうレッスンしたら、あーなるんだろか。。
と言っていました。
浦井さんの公式プロフィールによると、音大などで専門的に学ばれた様子はなく、デビュー作は仮面ライダー。
仮面ライダーのすぐ後に、いわゆる2.5次元から、ミュージカルのキャリアをスタートされたようです。
このパターンは、今のミュージカル界の若手によくあるキャリアパスですが、それにしては、と言うと随分上から目線で失礼かもしれませんが、すてきな歌声で魅せる俳優さんです。
春馬君のファンの間では、ミュージカルで共演した際に、春馬君が浦井さんに歌の先生の紹介をお願いして、浦井さんが自分の歌の先生であるボイストレーナーの斉藤かおるさんを紹介した逸話はとても有名です。
なので、友人にそのエピソードを話したところ、
「なんでも春馬君に持ってくねー」
と笑われましたが、いやいや、本当の事だし(笑)
斉藤さんは、おりに触れ、生徒だった春馬君とのエピソードをネットで公開されていますが、今年の命日によせて、インタビューを受けられて、記事になりました。
春馬君の素顔と、プロとしての生き様が伝わってくるとてもいいインタビューになっています。
こうして、近くにいらした方から聞くエピソードは、本当にファンにとっては、なによりの癒しで、ついつい繰り返して読んでしまいます。
今回は、この記事の中で語られた、とあるエピソードについて書いてみようと思います。
春馬君のファンの方には、面白くない話から始まるかもしれません。
でも、最後まで読んで頂いたら、春馬君がやろうとしてた事のハードルの高さ、とてつもないチャレンジ精神、そして、目指していたゴールまでは道半ばで、きっと次のチャンスにはもっと凄いものを見せようとしてたであろう事が、伝わるのではないかと思います。
伝説のパフォーマンスは実は準備不足だった
斉藤さんのインタビュー記事は4回シリーズですが、3回目の記事の中で、春馬君が生放送の歌番組でデビュー曲を披露した時のエピソードが紹介されています。この番組出演について、斉藤さんはこんな風に春馬君から聞いていたそうです。
1枚目のシングル曲も、激しく踊りながら、歌いづらかったと思います。ものすごい高音で、ミュージカルで歌う以上のスキルがいりました。実は、その曲をテレビで披露した時、生歌で踊るのが難しくて、失敗してしまったと春馬くんから聞いていました。
あぁ、やっぱり。やっぱりそうか。
私が、あの映像を見た時、最初に思ったのが、春馬君も事務所も「よくこの企画を受けたな」という事だったのです。
ダンスナンバーを、
ガチで踊りながら、
生で歌う。
しかも生放送で。
誰かを批判するつもりではありませんが、誤解を恐れずに言うなら、ちょっと事情がわかる人から見たら、むちゃくちゃとしか言いようがない企画だと思います。
もちろん、うまく行ったら、すごくカッコいい。
けれど、すごくカッコよい企画にするために、ちゃんと考え抜いたんだろうか。
ちゃんと準備をしたんだろうか。
なにかの役をやる時の「役作り」のように、しっかり作り込んだ末の企画なんだろうか。
私はこの時の映像を、動画配信サイトで見たのだけど、見てるだけで悔しくて悔しくて、悔しすぎて見るのをやめた映像なのです。
でも、そういう感想はなかなか言いづらい雰囲気で。
多くのファンにとっては、あの映像は、春馬君が、生放送の歌番組で歌っている貴重な「神映像」なのです。
だって春馬君は、キンキーの座長も務めたミュージカルのスターじゃないか、と。
翌日の情報番組で、著名な司会者の方もベタ褒めしてたじゃないか、と。
春馬君は、歌って踊れるスターなんだと
みんな信じて疑わない空気感の中で、私は本当に悔しくてたまりませんでした。
この悔しい思いをしてるの私だけ?
そんなわけで、この件に感して、春友さんと話題になるたびに、ものすごい孤独感を感じていたわけです。
なにがそんなに悔しかったのか。それは、明らかに準備不足で、上手くいっていないパフォーマンスに思えるのに、多くのファンは大絶賛だったから。
春馬君、褒められれば褒められるほど、悔しかっただろうな、と。
その心中を察するだけで、居た堪れない気持ちになったのです。私が悔しがっても、仕方ないんだけども。
春馬君は、ダンスも歌も子供の頃からやっていて、基礎はちゃんとある人です。
それが専門ではないけど、役者さんとして人前でギャラをもらって披露するのに不足なくできる人だと思います。
でも、踊りながら歌うって、別のスキルなのです。
ローラは、踊りながら歌ってた!
同じ番組でもパフォーマンスしてたじゃない!
と思われるかもしれませんが、いくらピンヒールでも、リズムを取りながら、腕から先だけの振り付けで歌うキンキーのメドレーと、全力で踊りながら歌うのは全く違うのです。
そもそも、ミュージカルの場合は、一曲まるまる全力で踊りながらソロで歌う、というのは、まずありません。
なぜないか。
難しいからないのです。たぶん。
推察ですが、あの企画は、「PVみたいに踊りながら生で歌ったら、カッコいいよねー」みたいなノリだったんじゃないかと。
だとすると、発案した人も、goサインを出した人も、エンタメの素人なんじゃないかと思います。
春馬君の立場としては、無茶とはわかっていても、デビューシングルを引っ提げて、「それはちょっと無理です」とも言いづらい。
けれど、十分なリハーサルをやる時間もない。
いや、まあ、なんとかできると思ったのかもしれない。
なんとかできる、というか、なんとかするしかない、というか。
これが歌手の人なら、デビューシングルを売っていくために、ちゃんとリハーサルに割ける時間があるはずです。
それ用にトレーニングもするでしょう。
でも、「俳優が自分のドラマの主題歌を歌ってみた」という流れの中で、春馬君自身はともかく、周りは少なくとも、あまりまともに準備をするメンタリティではなかった可能性もあります。
ミュージカルやってるんだからできるっしょ!
そんな安易なノリの企画だったなんて事はないと思いたいのですが、この企画がどれほど高い山だったのか、少しだけ紐解いてみたいと思います。
本番は息があがる
そもそも論的な事をひとつ。
とあるミュージカル公演の全員ナンバーでの事。
「全員ナンバー」とは、出演者(ほぼ)全員がステージ上で歌うナンバーです。大体、各幕のオープニングやエンディングで披露される事が多いスタイルの表現形式かと思います。
その公演では、全員が同じ振り付けで、ガンガンに踊りながら、ノリノリで歌うという演出になっていました。
ハモリパートもあり、4パートくらいに分かれて、追っかけながら歌ったり、コーラスがあったり。
全部で30人がそこらの芝居なので、ひとつのパートを担当するのは、男女それぞれ3-4人いるかいないか、になります。
曲の初めは、みんな元気よく歌っていましたが、後半になるにつれて、息が上がって歌から離脱するキャストが続出。口パク状態ならまだ良い方で、口パクすらできていないキャストもちらほら。
それでも歌おうとすると、ボリュームが調節できないから、ところどころで謎の絶叫のような声をマイクが拾ってしまい、歌はヨレヨレになっていきました。
おそらく稽古でも、ここまでの惨状ではないにしろ、この現象は確認されていたのでしょう。各パートにそれでも最後まで歌いきれる人材が配置され、彼らのマイクの音量を最大にする事で、なんとか歌詞はお客さんに届けようとしていました。舞台上には全員の姿があるのに、聴こえてくる歌声は数人、という状態。
そのナンバーを観ていて、最後まで歌いきれているのは、メインキャスト、アンサンブル関係なく、「歌える人は歌える」というのを目の当たりにする事となりました。
学芸会ならまだわかります。が、何某かの料金を払って見に行く商業演劇で、その世界の裾野のカンパニーとはいえ、それはないだろ、と思いました。
稽古からあの状態だったとしたら、事前に歌を録音しておき流すとか、なんらかの対策もなく本番というのは考えにくいので、おそらく稽古では、もう少しましな状態だったのだと思います。
しかし、本番では、アドレナリンも出るし、テンションも上がるし、緊張もするし、稽古より多くの酸素を身体が必要とします。
本番の方が息が上がりやすいのは、根性論だけでは解決できない人間の生理なのです。
本来なら、そこまで計算した演出をすべき、なのだと思います。
口パクと生歌を取り巻く状況
踊りながら歌うというパフォーマンスのスタイルは、昔からありました。
ダンス担当と歌担当を分けるEXILEスタイルではなく、昔で言うピンクレディーや、ジャニーズ系アイドル、最近の韓流アーティストのような、踊りながら歌うスタイルは、近年、身につけることができるワイヤレスのピンマイクが発達してからは、さらに増えた気がします。
が、フルコーラスをガチで踊りながら、生歌で、というのはいったいどれくらいあるのかなと思います。
ピンクレディーの時代は、歌番組は生放送で、時間の兼ね合いもあり、フルコーラスでパフォーマンスする事は非常に稀でした。
ジャニーズの皆様は、ご存知のように昔から口パクを多用しています。
とくに、ダンスの激しいグループは、もれなく口パクです。
最近は、歌番組がめっきり減り、私もほとんどテレビをみないのですが、いわゆる○○坂など、踊りながら歌うスタイルのアーティストは、今でもいらっしゃる。
で、お気づきかと思いますが、みなさま、グループです。グループだと、誰かしら歌っていれば、なんとなく歌はそれなりに聞こえる。
録音音源を使用するにしても、口パクもやりやすい。
ソロで踊りながら歌う歌手となると、思い出すのは、最近だと平手友梨奈さんあたりでしょうか。
動画サイトには沢山の動画がありますが、ダンスの激しいナンバーを生番組で生歌で、というパフォーマンスは、ざっと見た感じでは見つけられませんでした。
ちゃんと準備ができる環境があるであろうプロの歌手でも、そんなチャレンジめったにやらないのです。
ライブの映像などだと、歌いながら踊っているものもありますが、そういう場合は、バックダンサーがフルで踊り、ご本人のダンスは歌に負担の少ない振り付けになっています。
それでも、ショーのパフォーマンスとしては、十分なクオリティ。それはおそらく、リハーサルを重ねる中で、どうやったらショーとしてのクオリティを落とさず、歌と踊りを両立させるか、をちゃんと考えた結果だろうと思うのです。
それを本業としているアーティストは、やはり何をどこまでやるかを、慎重に検討してパフォーマンスを作り上げています。
踊りながら歌う、とは
というわけで、
ミュージカルでは踊りながらソロで一曲歌うことはまずない
本番ではそもそも息が上がりやすい
歌手の人でも踊りながら生では歌わない
ただし、大人数ならあり得る
という事をつらつら書いてきました。
逆に言うと、
生で
ガチダンスで
ソロで
一曲まるまる歌う
というのは、常識で考えたら「ない」と思うのです。
人間の能力的な問題として。
また、さらにあの企画で歌った曲は、とても高い音域の歌です。
春馬君の場合は、おそらくファルセット(裏声)とミックスボイス(裏声と地声の中間)を行ったり来たりしながら歌っています。
ファルセットもミックスボイスも、息のコントロールはチェストボイス(地声)よりも量的に少ない分、繊細です。
歌う時の息は、肺と肋骨と横隔膜をうまく連動させてコントロールします。場合によっては骨盤周りの筋肉も動員して、横隔膜をしっかり支える必要があります。
「歌に必要な体幹」と言い換えてもいいかもしれません。
体幹ですから、これは筋肉の運動です。
筋肉の運動には酸素が必要。息が上がった状態では、思うように体幹を使えない。しかも、高音域を歌うには「微妙な」「繊細な」使い方が必要です。
どうしても、踊りながら歌いたいのであれば、その繊細なコントロールを、踊って酸素の足りない状態でやるために、「歌に必要な体幹」のトレーニングをしつつ、ブレスの取り方を練習します。
また、下半身の大きな筋肉を沢山使うような振り付けや、腕以外の上半身を曲げたり捻ったりするような振り付けも極力避けます。
あったとしても、身体の使い方を工夫して、動きを最小限にしつつ踊りが小さくならないようにします。
酸素を温存するために。。
そういう練習を積んできた人なら、たぶん踊りながら一曲歌いきれる、のかも。
先に紹介した舞台では、子供の時からミュージカルをやってきた役者さんは、概ね最後まで声がでていました。
こういう人は、曲が終わっても、息が上がっていないのが見ててもわかります。
ミュージカルのナンバーは、ストーリーの一部ですから、その場面が終わった時、息が上がってるとおかしい場合もあるでしょう。
ミュージカルでは、歌った後、息が普通にできているべきなのです。
一方で、息が上がってしまっている役者さんにはふた通りあります。
まずダンス畑出身の方。
酸素を使い切るくらい踊るという練習しかしてきてないので、歌にもうまく酸素の配分ができるようになるのに、かなり苦労されるようです。
もうひとつが、練習不足の方。
頭を使って、自分の身体と向き合ってトレーニングしてなければ、誰でも初めからできる事じゃないのです。
あの、春馬君のパフォーマンスは、まさに後者。
踊りながら歌う基礎トレーニングも含めて、明らかに準備不足でした。
ちゃんと準備したらもっといいクオリティでやれたと思います。
ブレスの取り方ひとつを綿密に計算するだけでも、違ったと思う。
手持ちのマイクでなく、ピンマイクにするとかでも違うはず。
バックダンサーと同じ振り付けで踊る必要はまったくない。
胴体に負荷をかけず、脚はあまり使わない振り付けにするとか。
曲中、ダンスの見せ場と歌の見せ場をどちらか一方ずつにするとか。
口パクにして、ダンスに集中するとか。
尺を短くするとか。
こういう選択肢を検討するのも、リハーサルにきちんと時間を割けていれば、可能になると思います。
それができていなかったというのは、リハーサルが圧倒的に足りなかったのかなと。
クオリティを保つためのための変更を、検討して決断できるスタッフが周りにいなかったのかもしれない。
春馬君の努力だけでは、どうにもならなかった理由の積み重ねで、あの結果を生み出したんだろうな、と思います。
だから、悔しかっただろうなと。
私も悔しかったよ。
春馬君が目指していたもの、その先に
ガチ踊りながら、ソロで歌うパフォーマンスって、ほんとに難しい事です。上手く行くのは、まさに奇跡と言ってもいいと思います。
斉藤さんのインタビューによれば、2枚目のシングルを生の歌番組で披露する事が決まった時、春馬君は今度はちゃんと準備をしなきゃね、と相談したそうです。
あの企画の時の春馬君の苦労と悔しさなんて、計り知れないけれど、これも表現者と呼ばれた春馬君に、必要な経験だったのかもしれません。
しばらく止まっていた仕事が、一気に再開した忙しい日々の中で、いったいどれだけの準備をして臨めたのか、今となっては想像するしかありません。でも、音源を聴く限り、歌のニュアンスの出し方など、ファーストシングルの時より、格段に上手くなっていたし、なによりセルフプロデュースについては、本当に考え抜いて努力とチャレンジを欠かさない春馬君の事なので、きっと今度は「失敗してしまった」と言わなくてすむパフォーマンスを魅せてくれたのではないかと思います。
このパフォーマンスが観られなかったのは、本当に残念だったなと、改めて斉藤かおるさんのインタビューを読んで思いました。
「歌って踊れるスター」ではなく、「歌いながら踊れる/踊りながら歌える」スターを目指していたであろう春馬君。
その先に、春馬君が演じるのを待っていたミュージカル作品の役がいったいどれほどあったのだろう!と思うと、本当に残念であると同時に、変な表現かもしれませんが、ワクワクします。
ふらりと観に行ったミュージカルの舞台で、ばったり出会いたかったよ、春馬君。
ああ、やっぱり、舞台で輝く春馬君をこの目で観られなかったことは、普段、めったに後悔をしない私の、数少ない後悔のひとつであり続ける事でしょう。
終わりに
「いつか書きたいと思いながら、寝かせているネタ」というのは、いくつもあって、ふとした時にフックがかかることもあるし、勢いで書き始めてはみたものの、止まってまた冬眠なんて事もよくあります。
このnoteはまさにそれで、「踊りと歌」というテーマで、いくつか下書きを書き散らしておりました。春馬君と絡めずに書いた下書きもいくつかあります。
そんな中、斉藤さんのインタビューが公開されて、これだ!と思い、インタビュー記事が出た当日書き始めたのですが、結局、今日まで熟成させてしまいました(笑)。
理由は単純で、あの伝説のパフォーマンスを「失敗」と書いていいのか、ずっとぐずぐず悩んでいたのです。
いくら本人が言ってたとは言え、赤の他人の素人のおばちゃんが、言っちゃっていいのか?‥と。
しがらみや、葛藤の中でもがいていた一人の青年の想いに、ただただ想いを馳せているだけのnoteを、素人のおばちゃんがえいやっ!と書いてしまっていいのか?‥と。
春馬君のセカンドシングルの『Night Diver』は、エフェクトかけまくりの音源でしか世に出回っていません。
これを生歌でどこまで歌えたのか、本当に聞いてみたかった。
あのグルーブ感、非常にリズムが取りにくい早口の三連符、気が遠くなるほど長いブレス、曲のドラマチックな表現、どれをとっても、ファーストシングルより、遥かに難しい曲だけに、妄想の中ででさえ、期待がふくらむ一方です。
ああ、まだまだ観ていたかった。
言っても仕方のない事だけど、やっぱりついそう思ってしまうのは、沼の住人の性(さが)ですかね。。。