かがみあきら・没後40年目の夏に(5・完)
当時の私にとって、好きなクリエイターとは「ずっとむかしに死んだ人」か「生きていて現役バリバリの人」の2種類しかいなかった。好きなクリエイターが死んでしまうこと自体、想像の埒外にあった。私は訃報ではじめてかがみの年齢を知ったのだが、26歳での死があまりに若く、あまりに突然だったことくらいは、幼い私にも深甚な衝撃を伴って理解できた。
『リュウ』の記事の中で特に、次に引用する文章が私の目を痛烈に撃った。実は本稿を書くにあたり米沢嘉博記念図書館で閲覧するまで記事の全文を読み返したことはなかったのだが、この一節だけは40年間ずっと私の目交いに留まり続けていたのである。
記事を読み終えた私は呆然として誌面から目を上げた。雑誌コーナーの大きな窓の向こうには図書館周辺の街並みが広がっていた。あの光景はいまでもありありと思い出せる。それはほんの数分前とまったく変わらないはずなのに、妙に白茶けてまるで別世界へ迷い込んだみたいだった。いや、私は本当に別世界へ迷い込んでしまったのだと思う。「かがみあきらのいる世界」から「かがみあきらのいない世界」へと。
錯覚の産物とはいえ私にとってかがみは自分だけの漫画家だった。それは裏を返せば、喪失感を分かち合える仲間がいないことを意味していた。『リュウ』宛てに追悼の手紙を書けばよかったとは40年後に出てきた後知恵で、当時はファンダムもコミケもいまだ遠い存在だった。
この一件がトラウマとなって、私は残りの中学時代、漫画を読まずに過ごすことになる。クラスメイトが北斗神拳ごっこに興じていても元ネタがわからなかったくらいである。
それから数年して、私はかがみにまつわるひとつの記事を読んだ。
もともと伝聞調の記事であったし、商業誌で読んだのかファンジンで読んだのかも思い出せないまま記憶頼りで書くが、ともかくこんな内容だった。
元アシスタントの夢にかがみが現れて、くやしい、くやしいと言って泣く。何がくやしいのだとアシスタントが問うと、かがみはこう答える。
「僕が死んだら、みんな『これからの人だったのに』と言う。それじゃ、これまで僕が一生懸命してきた仕事は何だったんだ。僕がこれからするはずの仕事に比べたら取るに足らないものだったのか」
もし私の夢にかがみが現れたら、私は何と言うだろうか。そんなことを時おり考える。
たぶんこう言うだろう。――そんなことはない、あなたは素晴らしい仕事をしました。ほら、こうして私のように、40年経ってもあなたの作品を忘れない読者がたくさんいるんですよ。
しかしきっと、こうも付け加えると思うのだ。――けれども私は、あなたにもっと長生きして、もっともっと漫画を描いてほしかった。あなたの作品を好きだと思う気持ちに「これまで」も「これから」もないのです。だから泣かないでください、と。
40年目の夏が、過ぎて行く。夏の終りに降る雪は、哀しいくらいに綺麗だろう。(完)
【参考文献】
かがみあきら『鏡の国のリトル』徳間書店、1984年
あぽ『ワインカラー物語』白夜書房、1984年
かがみあきら『サマースキャンダル』徳間書店、1985年
かがみあきら『レディキッド&ベビイボウイ』笠倉出版社、1985年
かがみあきら『さよならカーマイン』ラポート、1985年
かがみあきら『ワンダートレック』ラポート、1986年
かがみあきら『かがみあきら選集 ワインカラー物語』角川書店、2004年
大塚英志『「おたく」の精神史――一九八〇年代論』講談社現代新書、2004年
豊田有恒『日本アニメ誕生』勉誠出版、2020年
大塚英志「あぽことかがみあきらさんが亡くなったことについて。」『漫画ブリッコ』1984年10月号
大塚英志「まんがの真相 あぽさんの遺したもの。」『漫画ブリッコ』1984年11月号
無署名記事「さよなら!! かがみあきら先生」『別冊アニメージュ SF&FANTASY リュウ』1984年11月号
泊倫人「かがみあきら 夭折した美少女漫画家」『コミック・ゴン!』3号、ミリオン出版、1998年