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かがみあきら・没後40年目の夏に(4)

そして84年初秋。図書館で『サマースキャンダル』の新作を期待して『リュウ』を開いた私の目に飛び込んできたのは、かがみの死を伝える記事であった。

かがみは8月初めから体調を崩しており、8月9日連絡が取れないことを心配したアシスタントがマンションへ押しかけたところ、すでに事切れた姿で発見されたという。

正確な死因について書かれた資料は管見の範囲ではない。しかし一部の関係者は、ただでさえ100キロを超す体型であちこちに負担がかかっていたところへ、過労が重なったのが原因と見ているようだ。あるアシスタントには「新人だから、断ると仕事が来なくなっちゃう。それが怖くて断れないんだ」と漏らしていたという。

では、実際にかがみはどのくらい仕事をしていたのか。

単行本『サマースキャンダル』掲載の作品リストには、各漫画作品の頁数と発表媒体の発行年月が記載されている。これを基にして、フリーとなった直後の83年1月から最後の作品が掲載された84年10月までの「月産頁数」を計算してみた。

もちろん原稿を描いた時期とそれが印刷製本されて書店に並んだ時期にはズレがあるし、雑誌の月号表記は実際の発売日より先になるのが慣例である。加えてイラストやメカデザインといった漫画以外の仕事、および同人漫画は一切カウントしていない。そういう意味でかなり雑な統計ではあるのだが、一応の目安くらいにはなろう。

1983年
1月 0頁
2月 8頁
3月 22頁
4月 18頁
5月 10頁
6月 40頁
7月 41頁
8月 24頁
9月 49頁
10月 14頁
11月 72頁
12月 12頁

1984年
1月 54頁
2月 46頁
3月 74頁
4月 2頁
5月 68頁
6月 111頁
7月 44頁
8月 44頁
9月 63頁
10月 4頁

倍々ゲームという言葉が決して誇張でないことがわかる。

関係者の証言を総合すると、かがみの健康問題は8月になっていきなり出てきたものではなく、かなり前から心配されていた節がある。これは私の勝手な想像だが、彼らの間では何か異変を感じたらすぐに動こうという暗黙の合意があったのではないか。でなければわずか1日連絡が取れないくらいでマンションへ強引に押しかけるはずがない。

いずれにせよ、かがみあきらが死んだことだけはまぎれもない事実だった。(続く)

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