10年に一度の怪作~韓松『無限病院』書評~

最初に未読の方のために警告しておく。私は本書を読み始めたあと通院する必要が生じ、病院の待合室でも読み進めたのだが、たとえ他に読む本がないとしてもこれだけは止めた方がいい。

第一に、目の前の医療関係者が信じられなくなるから。第二に、自分が病院から永遠に出られない気がしてくるから。じっくり読むのは家に帰ってからにして、病院では天井を見上げて石膏ボードの穴でも数えていた方がマシである。

物語は未来、世界中を巻き込んだ大戦争のあと、仏教が支配的宗教になった時代。仏陀を探すため太陽系の各惑星に宇宙船が派遣される。しかし宇宙船が発見したのは、紅十字の紋様が記された巨大な病院の廃墟だった。

ここまでがプロローグ。本編は中国が舞台(ただし現代ではなく、破局的事態が起こったあと文明が再建された時代であることが示唆されている)。公務員だった楊偉はソングライティングの才能を買われC市に派遣される。ここを本拠とするB社の社歌を作るためだ。しかし彼はホテルで瓶入りミネラルウォーターを飲んだところ、激烈な胃痛に襲われ気絶する。そして目覚めると、楊がいるのは肌寒い丘の上――ではなく病院の中だった。巨大で決して出て行くことのできない病院。

この病院の内部というのが実に奇怪で、確固としたシステムがあるように見えながら、現場で起きているのは医療崩壊としか呼びようのない事態なのである。患者は待合室でえんえん並ばされ、医師に賄賂を渡さなければ診察してもらえない。診察されたらされたでよくわからない検査を盥回しにされる。入院ともなればベッドが足りず患者たちで争奪戦が起こる始末。建物のそこかしこには患者どころか死体まで放置され腐臭を放っている。そのくせ病院は銀行も経営していて、金のない患者に治療費を高利で貸し付けケツの毛までむしるのだ。

ここから彼の不条理で悪夢めいた地獄巡りならぬ病院巡りが始まるのだが、ストーリーの合間合間には、生と死、疾病と医療に関する、科学解説とも、哲学的/宗教的議論とも、妄想ともつかない文章が大量に差し挟まれる。

ひとたび頁を開けば異様な熱気に押されて読んでしまうのだが、では別の意味で「読む」となると、どこへ軸足を置けばよいのかにわかに怪しくなる。

本書が中国社会、あるいは現代の医療体系を風刺しているのだろうということは、おぼろながらまさぐれる。だが、そう一義的に読んでしまうにはそこからはみ出すものが余りに多いし、何より本書を矮小化してしまうのでは、という懸念が抜けない。

試みに私が読みながら連想した作品名を列挙してみよう。夢野久作『ドグラ・マグラ』、安部公房『密会』、オーウェル『一九八四年』、ハックスリー『すばらしい新世界』、レム『浴槽で発見された手記』、バラード『コンクリートの島』『ハイ‐ライズ』、ワイルズ『時間のないホテル』、オースター『最後の物たちの国で』、小松左京『果しなき流れの果に』、村上昭夫『動物詩集』、加えてアノンQその他もろもろの陰謀論。しまいには学生時代に読んだきり忘れていたイリイチ『脱病院化社会』なんて書名までゴロンと出てきた。裏を返せばそれだけ多義的な読みが可能な作品なのではないか。

この中で表面的にもっとも類似しているのは、今年新訳が出た『浴槽で発見された手記』だろう。巨大だが決して出て行けない建造物の中で、主人公が彷徨いつつ不条理な目に遭う。しかし主人公の主観ではどれだけ不条理な事態が起こっていようと、いったん小説の外に立ってしまえば、レムは作者としてその「不条理さ」をきっちり統御している節がある。

一方韓松にはそもそも統御しようという気が窺えない。あったとしても統御している手さばきを読者に極力見せまいとしているのだろう。普通の読書をロデオに喩えるならば、本書を読むことは馬の背にではなくキングギドラの首筋に乗るようなもので、振り落とされないためには手綱を必死に握っていなければならない。それが読んでいるうち奇妙な快感になってくるのだけど。

本書は英訳版からの重訳なのだが、韓松と英訳者との間で訳稿が行き来するうち多数の加筆修正が加えられ、原案ドラフトとも、中国で流布している版とも違うテキストになったという。これは私の勝手な想像だけれど、本書のカオスぶりにはそんなパッチワーク的な成立事情も与っているのかもしれない。

しかも本書は三部作の第一部だという。続きがどんなものかまったく予想できない。これがヤロス『フォース・ウィング』だったら、むろん続きを正確に予想することなど不可能だけれど、それでもどんな枠内でストーリーが進行するのかぐらいは何となく思い浮かべることはできる。本書ではそれすら手のつけどころがない。続編が待ち遠しい、という常套句もうっかり口にできない佇まいがある。

誤解を招く可能性を承知で、あえてこの言葉を使う。本書は10年に一度の怪作である。心して読まれたし。

あ、そうそう、読みながら連想した作品名をひとつ忘れていた。それはイーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」である。あの有名な一節のもじりが頭から離れないのだ。「あなたはいつでもこの病院から退院できますが、決して立ち去ることはできないのです」。――ひとり主人公だけではない、本書の読者もまた。


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