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何のために学ぶの?痺れた主任の語り

お久しぶりです。
夏休み、いろいろなお仕事があり、しばらくnoteをお休みしていましたが、再開します。

夏休みはいろいろな思い出ができましたが、特に心に残ったのは家族旅行です。
熊野方面へ旅行しました。台風が心配されましたが、奇跡的に天気がもち、美しい海、那智の滝、千枚田、熊野本宮大社などを観光することができました。オールインクルーシブの宿に泊まり、飲み物、食べ物、温泉各種サービスを堪能し、帰る日には、娘が「もう一泊したい」と言っていました。

全ての観光を終えて「いい旅だったね」と言いながら帰路に着くと、なんだか車の調子が・・・。なんと、アクセルをどれだけ踏んでもトンネルの中でノロノロ運転に。奈良県十津川村の山中で車が動かなくなってしまい、レッカーで運ばれることに。タクシーで街まで出るも、その日の最終列車に乗れず、もう一泊することに。思いがけず、娘の「もう一泊したい」の夢が叶った瞬間でした。安いビジネスホテルでしたが・・・。忘れられない夏の思い出ができたリッケンです。

さて、今回の、本題は「何のために学ぶのか?」です。

先生方ならなんと答えられますか?

「何のために学ぶのか?」誰しもが抱くいだく問いだと思います。子どもたちにも、何のために学ぶのか「目的」を伝えることが大切です。

多くのクラスで4月に語ることと思いますが、自分のなりの答えが決まったら続きを読み進めてください。

初任校の時の私は、「何のために学ぶのか」全くわかっていませんでした。

そんな時、3年目に組んだ主任の語りを聞いて、2度痺れました。特に2度目に聞いた話は、自分の人生の指針となっています。

この主任には痺れさせられっぱなしでした。以前紹介した主任の語りはこちら↓

では、「何のために学ぶのか?」いってみましょう!



主任からの質問

主任:リッケンくん、学校で子どもたちが勉強するだろ。君なら、「先生、何で勉強するの?」って質問されたらなんて答える?

私:え、社会に出てから困らないようにするためですか?

主任:だとすると、社会に出て使わないことは学ばなくていいってことになるな。「先生、社会に出てから、こんなに難しい計算とかしないよ。計算機でやればいいし。漢字だってパソコンで書けばいいじゃない」なんて質問されたらどう答える?

私:そっそれは・・・、そうやって、必要ないことも学ぶことで頭が鍛えられるんじゃないかなって答えますかね。

主任:俺は、こう思うんだ。学ぶのは、誰かとつながり合うためだって。人は、1人では生きていけない。誰かとつながって助け合わないと生きていけない。

国語で言葉を学べば、人とつながり合える。文字が読めるようになれば、作者と仲良くできる。古文や漢文を学べば、もう亡くなってしまった人ともつながり合って仲よくできる。

外国語を学べば、外国の人とつながることができる。

社会を学べば、世の中の仕組みがわかる。世の中のさまざまなものとつながることが出来る。

理科を学べば、科学や自然の仕組みがわかる。自然とつながり合うことができる。

算数を学べば、世の中のあらゆるものを数字を使って客観的に捉えることができるようになる。生きていくためには数字は欠かせない。人に物を伝えたり、働いてお金をもらったり、そんなつながりの中でも数字を使う。

こうやって、学校での学びを深めていくと、人や社会や自然とのつながりが生まれて、自分の心が、見方が広がっていく。だから、みんなで一緒に学ぶっていうことが大切だと俺は思うんだよね。

そうか、学ぶということは、つながること。そして、自分の世界を広げていくことなのだということを知り、痺れました。

その後、自分のクラスでも同じように語り、それぞれの教科を通して子どもたちがつながり、心や世界を広げていくことを目指して教えるようになりました。


主任の痺れたやんちゃくんへ語り


ある時、主任がやんちゃな子に語りかけていました。なかなか学習に目が向かない子でした。その子に対してこんなふうに語りかけていました。

なあ太郎、何のために勉強するかわかるか?

私はそれを聞いて、「学ぶって事は世界とつながることだ」というあの話をすると思っていました。ところが主任の話は全く違っていました。

主任:なぁ、太郎。お前大切な人っているか?

太郎:大切な人?

主任:そうだ、大切な人だ。

太郎:お母さんとかお父さんとか?

主任:そうだな。家族も大切な人だろう。でもなぁ、家族だけじゃないぞ。お前もな、将来大きくなって、好きな人ができるかもしれない。恋人だ。恋人も大切な人になるだろう。将来、お前もきっとその大切な人を守りたいって思うだろ。

今までお母さんやお父さんにお前はいっぱい助けてもらってきているな。

でもな。お母さんやお父さんだっていつまででも元気なわけじゃないぞ。お父さんやお母さんだって歳をとる。いつまでも支えてもらってばかりというわけにはいかない。

そんな時お前はお母さんやお父さんを助けたいって思うだろう。その時、お前には大切な人を支えられるだけの力があるか?今のままで守りたいと思う人支えきれるほどの力がつくか?

太郎:・・・

主任:勉強っていうのはな、学ぶっていうのはな、自分が守りたい人が出来たときに、その人を守ったり支えたりする力をつけるためにあるんだ。でもな、守りたい人が出てきた時にその力が欲しいって思っても遅いんだ。だからお前には今学んで欲しいんだ。

しびれました!そうか学ぶっていうのは自分が力をつけて、大切な人を守ったり支えたりするための力をつけるためにするんだ。雷に打たれた思いでした。

そこから自分も誰かのために大切な人を支えるために学びたいと思うようになりました。家族ももちろん大切な人です。

でも今は職場の同僚も大切な人です。学んだ事は出し惜しみせず、誰かの役に立つために使いたいと思うようになりました。近フルエンスするということです。

「何のために学ぶの?」のまとめ

①学ぶことで人や社会や自然とのつながりが生まれて、自分の心や見方を広げていくため
②学ぶのは大切な人を守ったり支えたりする力をつけるため

このことは、若かった私に「教師の語りの大切さ」を意識させることになりました。「何のために学ぶの?」という問いに対して、複数の語りをする。別の角度から話をする。そうか同じ語りの繰り返しでは子どもたちも飽きてしまう。

その事象に含まれる価値を、さまざまな角度から語っていくことの大切さにも気づかせてもらいました。

そこから私は、さまざまな先生方の語りに聞き耳を立てたり、子どもたちの指導に悩むと尊敬できる先輩方をつかまえては、「先輩ならどう語りますか?」と質問しまくることになりました。

「『子どもたちに何のために学ぶの?』と質問されたら、先生は何と答えられますか?よい語りがあったら教えてください」そう職場の先生方に質問すると、きっと素敵な語りが聞けるはずです。ぜひ、尋ねてみてくださいね。

今まで、さまざまな場面で子どもたちへの語りをしてきました。下のマガジンへ少しずつまとめていきたいと思います。よろしければフォローをお願いします。


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