2024年ベスト(のような日記)
ライターでも編集者でもないのに文章を書いていたのは何故だろうか、と考えるとインターネットに何かしら私の足跡が漂流し、誰かが拾い上げるという行為にロマンを感じていたから、という答えが浮かぶ。特にここ数年はTwitterとnoteの相性の良さや私の生活リズムの緩さから、何かを聴いて読んで観て感じて、そして書いて、ある程度読まれて…というリズムが自然と身に着いていた。フルタイムで働き始めてからはそのリズムは段々と整合性を失い、なんとなく文章を書くことから離れている。
でも年末にやることが無くなると1年の振り返りをしたくなるのは性(さが)なのだろうか、こうしてキーボードをカタカタと打っている。身も蓋も無いことを言うと、今年は可処分時間をどう過ごすかということを結構考えていた。音楽を聴く時間は映画を見れない時間で、バンドでスタジオに入るときはバラエティーを見れない時間で、と特に夏頃は触れられ得る絶対量が減っているという単純な事実に辟易していた記憶がある。
⚪︎1/8計画『開発日記』
上記の認識が変わった、というかどうでも良くなったのは本格的に参加しているバンド・1/8計画の活動が始まってからでした。6月頃に録音を行いミックス/マスタリング、 9月に半年ぶりくらいに結成時のメンバーでライブを行い、作品の発表、そこからレコ発、5、6回のライブと特に下半期はバンドらしく活動できました。バズる/バズらないや評価される/されない、聞かれる/聞かれないとは別に、バンドで活動する中で私が聞いてきた音楽の先にある、聞いたことない音楽が自らの手で構成されていくような、そしてそれが自分一人では達成できない技量と経験で成されているような感覚は、大袈裟ではなく、かなり生きている実感に繋がる。この活動にはこれまで作ってきた音楽リスナーとしての矜持が反映されている気がして、ただ無闇にSpotifyをスクロールしていた時間は何も無駄ではなかったのだろう。
⚪︎『インターステラー』(at グランドシネマサンシャイン池袋)
クリストファーノーラン『インターステラー』をノーランのサインが置いてある池袋の嘘みたいに大きいIMAXスクリーンで見る。クリストファーノーランの映画は、彼の「夢の中へ行けたら」「コスチュームのヒーローになるたけリアリティを与えたら」「時間が逆行したら」みたいな、ティーンエージャーのロマンを物資と資金とアイデアで形にしてしまうところが好きだ。破綻していないっすよ!!!というハッタリが実際の映像のパワーでアリになっていく瞬間に、映画という媒体のロマンを感じる。だって、映画として目の前に存在してしまっているのだから。ノーランの信じる世界が、私の画角に入りきらないほどに拡張され、彼のロマンティシズムの世界に入っていくような、それは娘の部屋の本棚へ飛び込むマシューマコノヒーじゃねーか、という、3時間。「2001年宇宙の旅」をたまたま見た後だったのも良かった。
〇Godspeed You! Black Emperor『No Title as of 13 February 2024 28,340 Dead』
例えば、GY!BEみたいな音楽を私は「美しい」と無邪気に感じ、そのまま受け取ってしまうのだが、この作品のタイトルは「イスラエルによるガザでの戦争で保健省が報告したパレスチナ人の死者数を指している」という。否応なしにこのインストゥルメンタル・ミュージックに意味が加わり、これまでの私の音楽の聴取態度の不真面目さが白日にさらされた気がした。ノイズをただそこにあるノイズとして受け取る、リズムをリズムとして体が受け入れる、みたいな一見「音を音として見据えている模範的な態度」の加害性というか、無責任さと向き合う契機なのかしら、など。音響的拡がりと個々の楽器のメロディアスさがここまで有機的に絡む様はロックというよりクラシック/オーケストレーションに近い美学を有している。
〇石橋英子「Album I」「Album Ⅱ」~「悪は存在しない」
石橋英子をポストロックの耳で聴いていいんだ!!と腑に落ちた感覚を得たのはこの2022年のフジロックの生配信を見てからだったように思う。ジャズ由来のリズムセクションに対して、幾つもの楽器や声がタイムライン上でタペストリーを織りなすように重なっていく。そのともすればBGMに近い心地よささえ感じるムードに対してジムオルークのギターが緊張感をもたらす。山本達久やドイツのインストバンド・Von Sparとコラボして制作された「Album I」も上記のアンサンブルの心地良さを軸にしつつ、CANやMouse On Marsのような繰り返しの酩酊感に溺れていくうちに知らない世界が見えてくる作品。石橋英子が劇伴を作成した「悪は存在しない」を見ても同じく、心地よいスリリングさに溺れていたら突然知ら無い世界に放り込まれた感覚になった。「水は流れる」ことと、その流れが壊れること、アナログな自然とデジタルなテックが交わろうとすること、そこから生まれる綻びを描いたのが「悪は存在しない」だったが、石橋英子「Album Ⅰ」「Album Ⅱ」も演奏者が交わることによって変容していく場自体をスケッチしたという意味で、「悪は存在しない」にどこか通じる作品だったと思う。
⚪︎長谷川白紙「魔法学校」
これまで長谷川白紙の音楽やライブ演奏を見てどこか窮屈そうだな、という印象を持っていて、同時にグリッドや鍵盤に縛られながら自己を発散させていく様にも惹かれていたのだと思う。ですが今年アルバム「魔法学校」の発売に先立って解禁されていた「Boy's Texture」を聞いてかなり印象が変わり、なんだかオーガニックな手触りがあるというか、ギミック寄りではない、テクスチャー寄りのソングライティングへグラデーションを伴い移行していると感じた。少し後に行われたDOMMUNEの配信ライブではトラックを流しながらハンドマイクで歌い、体をゆらゆらさせていて、忙しなく鍵盤を叩いていた窮屈さから解き放たれていたようだった。THE FIRST TAKEでは生演奏やコーラス隊との共演するなど、頭の中で鳴っているものを音楽に還元するのではなく、肉体を持って音楽を編み上げていく意思を感じ、そのムードが顕れた「魔法学校」が好きだった。私は演奏者の有機的な熱のようなものがテクスチャーとして練られて行く音楽が好きなのだと改めて気付かされた。
⚪︎Mount Eerie『Night Palace』
The MicrophonesことMount Eerieの新作。アコースティックギター一本の素朴な歌モノからノイズから囁きが聞こえるような曲まで、1時間21分、26曲。嘘偽りが無いな、というのが一回聞いた感想だった。彼の中ではノイズもギターも環境音も叫び声も同じ俎上並んでいるのだろう。ダニエルジョンストンにも近いようなピュアネスを数十年というキャリアが自然と最高級のバランスをもって織りなされたような美さがある。スロウコアナンバー「I Walk」は90年代アメリカの地下室の香りがあって好き。毎朝満員電車で音楽を聴きながらウトウトしてしまうんだけど、不思議とこのアルバムはずっと耳を澄ましながら聞けた。
⚪︎Floating Points「Cascade」~フジロック
今年最もテンションが上がっていた時間は?と聞かれたら多分フジロックでFloating Pointsを見てた時、と答えます。結局あの時間の特別さというのは、フジロックの会場に流れる風や川と同じデカさをもってキックが鳴らされていた、ということに尽きる。デスクトップの音が自然の中で!!という特別さではない、まるで初めからそこにあったようなキックの音は神からの啓示に近く、多分古代からこうして踊りながらあっちの世界へ行くような気分を我々は感じてきたのだろう。
⚪︎OGRE YOU ASSHOLE「DELAY 2024」~「自然とコンピューター」
今年一番楽しかった思い出はOGRE YOU ASSHOLE主催の野外イベント「DELAY 2024」でした。勿論長い時間ドライブした後の異様なテンション、という理由はあると思うのですが、ジムオルーク、坂本慎太郎、OGRE YOU ASSHOLEという座組がそれぞれ違った面から自然という空間の中で響く音楽の最適な姿を見せてくれたのだと記憶している。特にOGREはライブハウスやホールといった箱の反響が無い、彼らが意図する効果を携えた音を相当クリアに食らえてしまった。徹底的にジャストに鳴らされる音が徐々に熱を持っていく様、それとゆっくり陽が沈んでいく対比、気がついたら手がつけない程に音は大きくなり、熱は滾り、それでいてシーケンスのリズムから外れることはなく、演奏は続いていく。イベント数ヶ月後にリリースされた「自然とコンピューター」はライブにおける沸騰するようなムードはあえて削がれ、プリンスが実践した密室ファンクのような聴き心地に満たされていた。シーケンサーが5人目のメンバーとしてメンバーとグルーブを作り上げ、リズムに合わせているのではなく、リズムが生まれていくような感覚。「君よりも君らしい/人がいたらどうしよう」のような歌詞が断片的に脳みそに入り込んでは意味を噛み締める前に消えていく。
⚪︎HYOKOH×落日飛車『AAA』
何故彼らの中に私はいないのだろう?と歯軋りしてしまうほどにはHYOKOHと落日飛車のメンバー10数名が立つステージにはコミュニティとしてマジカルな空気が充満していた。多分全員が私と同じようにアジアの端っこで「ああはなれないのだろう」と嘆息を吐きながらインディーロックを聴き、YouTubeでRadioheadやらなんやらの映像を見ていたんじゃないかしら、と妄想してしまう。豊洲pitの音響は良いとは言えなかったが、空間に満ちるエネルギーだけで満足だった。HYOKOHも落日飛車も私が高校生の頃に知り、日本や欧米以外で初めて好きになったバンドだったし、アメリカやイギリスの音楽こそ至高、などと考えていた私がフラットな意識を持って音楽を好きになれるきっかけのひとつだった。スーツを着てステージを見ているのがすごく不思議な気分だった。
⚪︎トリプルファイアー『EXTRA』
思っていないことも本当のことも戯けた素振りで口にし、自分を誤魔化し、何がなんだか分からなくなっていくような感覚になったりする。「お酒を飲むと楽しいね」だって本心だし、同時に本音を誤魔化す冗談だろうし、自分でも分からなくなっているのだけど、なんか言ったら周りが笑ってくれているし、私も楽しいし、思考停止。「おれは空洞、でかい空洞」と叫んだゆらゆら帝国から十数年、寄る辺のない自己は「お酒を飲むと楽しいぜ」という言葉を持ってまた歌になった。そしてマジなのか冷笑なのか、「冷笑してるじゃん」と自嘲しているのか定かではない言葉たちが、演奏のキレによって説得力を得てしまっている。思考が言葉を織りなす瞬間と言葉が思考をハックしていく瞬間がずっと綱渡りしていている。
⚪︎PAS TASTA「GRAND POP ODYSSEY」
なんであれを見た次の日に私にはAbletonをまともに触る時間さえ無かったのか?というミクロな絶望は置いておいて、インターネット出身の6人が集まって、バンドをして、それがめちゃくちゃ良いだなんて、あまりにも惨すぎると思う。もちろん、インターネットにおける夢っていうのが誰かと繋がれて、顔も分からないのに感情はシェアしあえる、ということなのは分かるけど、今のインターネットの状況を考えれば"インターネットドリーム"なんて成し得ないことも良くわかってしまう。だからそのインターネットに夢があった時代を上手く乗りこなしつつ、溌剌にバンドをしている彼らを観て私が持てるのは、やはり羨ましいとか悔しいとかずるいなとか、そういう感情でした。というのは半分冗談として、邦ロックフェス的な盛り上がりとクラブ/パーティー的な個人の尊重が同時に成り立っている空気感含め、久しぶりに「立ち会ってしまった」感のあるライブでした。
以上、ただ新譜聴いてディグってまとめて…みたいなルーティーンはどうなんだ、と思っていたところで強制的に音楽を聴くリズムや向き合い方が変わった1年でした。また来年もよろしくお願いします。