イリーナ・ジェレプキナ ハリコフからのメッセージ
旧ソ連圏のフェミニズム・ジェンダー研究の第一人者で、ハリコフ・ジェンダー研究センターの創設者でもあるイリーナ・ジェレプキナは、現在もハリコフの自宅で戦禍を過ごしている。これは、彼女が『ボストン・レビュー』に寄稿したテキストの訳です。ちなみにこれは私の実力不足ゆえに、ロシア語からの重訳になっています。英語が得意な方は、オリジナルで読まれることをおすすめします。オリジナル:https://bostonreview.net/articles/dispatch-from-kharkiv-national-university/
これは自分用の訳ですが、誰かのお役に立つかもしれないので、恥ずかしながら公開しておきます。ぎっくり腰で翻訳作業が続かず、その1、その2に分けます。その2は明日にでも。英語からの邦訳が出たらありがたいですが。
その1
大学の同僚たちとともにハリコフ・ジェンダー研究センターを創設した1999年以降、私たちは学会やサマースクール、勉強会、ネットワークを含め、さまざまなプロジェクトを数多く行ってきた。けれども、私たちの仕事のおもな注意は、旧ソ連圏において欧米のフェミニズム理論を普及させることに向けられていた。雑誌『ジェンダー研究』(1998年創刊)や、『ジェンダー・スタディーズ』『フェミニストコレクション』といった翻訳書シリーズの中で、私たちはジュディス・バトラーやロッシ・ブライドッチ、エレーヌ・シクスー、アンドレア・ドウォーキン、ナンシー・フレイザー、ジェーン・ギャロップ、エリザベス・グロス、ベル・フックス、リュス・イリガライ、ジュリア・クリステヴァ、テリーサ・デ・ラウレティス、ジュリエット・ミッチェル、ゲイル・ルービン、ジョーン・スコット、イヴ・セジウィック、ガヤトリ・スピヴァクその他多くの人たちの著作にアクセスできるようにしている。これらの出版物は現在も利用されており、旧ソ連諸国の新しい世代のフェミニストやジェンダー研究者たちに用いられている。これらの出版物は、読まれ、再版されて、私たちの国々のフェミニストたちの意識の基盤を成すものとなっている。プーチンの軍隊がウクライナを占領する試みを始めたときから、さまざまな国、さまざまな世代の人たちから支援の手紙をたくさん受け取った。それは、私たちの本や雑誌を読んで育ちフェミニストになった人たちが書いてくれたものだ。
ハリコフ国立大にジェンダー研究センターを作る際に、私たちは、アメリカの大学の女性学のカリキュラムをモデルにして自分たちの大学のプログラムを作ろうと考えていた。でも実際には、私たちは、かつてのソ連と、かつての東側諸国のために働いていた。じきに私たちはこのことを理解し、21世紀に入ってからの20年間は、自分たちの基軸プロジェクトを「旧ソ連諸国のための大学ネット」と名付けた。ポストソヴィエト期の大学にジェンダー研究を導入するという自分たちの仕事において、私たちは多くの旧ソ連諸国(ロシア、ベラルーシ、カザフスタン、アルメニア、ジョージア、ウズベキスタン、ラトヴィア、リトアニア等々)の同僚たちと密接に協力してきて、私たちにはこのことをまったく自然なことだと感じていた。私たちはつい最近まで同じ国家の市民だったのだし、私たちには非常に似通い交差する課題や問題があったのだから。私たちが掲げた目的は、より開かれ、多様であり、批判的な考えも受け入れるために、ポストソヴィエトのアカデミズムを変容させることだった。けれども、戦略的な課題は、よりグローバルなものだった――それは、ソ連の全体主義的な遺産との闘いだった。これはいわゆる「非共産主義化」の闘いであり、私たちは、ポストソヴィエトの家父長的な権力と知の構造にフェミニズム的に介入するという形でそれを実現しようとしてきた。この年月のあいだずっと、私たちは心から確信していた、フェミニズムとジェンダー研究は、全体主義の過去のトラウマからソ連の人びとを解放することに役立つと。私たちの欧米の(とりわけ、私たちの多くのプロジェクトを支援してくれたマッカーサー基金の)パートナーたちは、それによってポストソヴィエトのフェミニズムが西側のリベラルな民主主義の主たる脅威から、なによりもまず核による絶滅の脅威から逃れようとする世界を救うことを願っていた。
しかし今日、明らかになったことは、リベラルな民主主義世界への脅威が潜んでいたのは、それがあると思っていた場所ではなかったということ。共産主義思想の側ではなく、ファシストの側からの脅威だったのだ。ロシアの政治哲学者アルテミイ・マグンが言ったように、「我々はスターリニズムと闘いながら、一方でファシズムを受け取ったのだ」。これはいわゆる「ネオファシズム」であり、そこでは、ジュディス・バトラーが定義しているように、1)「憎悪の自由」が合法化され、2)傷つけられた民族の偉大さという感情を人々のなかに起こすためにルサンチマンが動員される。その感情はその後、民主主義的の諸権利や民主主義それじたいを潰す口実として利用される。このコンテクストにおいては、バトラーが指摘しているように、20世紀半ばのファシズムと、この新しい「解放する」ファシズム(バトラーのアイロニカルな表現)とを区別することが重要である。前者は、小・中流ブルジョワ層の失望を利用して、ブルジョワの憎悪をプロレタリアへと向かわせた。後者は、貧困層の人たちに、別の貧困層の人たちを憎むこと、そして自分のレイシズムを恥じることをすすめるときに起きるものだ。
(つづく)
その2
今日、後期ソ連時代に目を向けると、驚くことに、プーチンのロシア、その報復的な軍国主義に比べたら、世界にとってソ連はかなり安全な国家だったことに気付く。今よりも予見可能、交渉可能で、衝突も限られた局所的なものだった。ソ連の軍事ドクトリンは、最初に核兵器を使用し、核戦争を始める可能性を検討してはいなかった。後期ソ連では、国内にも、オルタナティブな文化、あるいは、アレクセイ・ユルチャクが著書『終わるまではすべてが永遠』(2006年刊、邦訳は『最後のソ連世代』半谷史郎訳、みすず書房、2017年)で書いているように「ヴニェの実在空間」(※形式的には権威的言説の内にいながら、意味的にはその枠外に存在すること、という感じか?)のための可能性があった。ソ連では、反体制派の人たちでさえ、いまプーチンが導入した(ウクライナでの“特殊作戦”に関する“フェイク”を流したら15年刊の自由剥奪刑)よりもより軽い罰だった。
ロシアには、侵略を支持せず、みずからの自由と命を危険にさらしながら「戦争反対」と口にしている人がたくさんいるのだということを理解するのはとても重要だ。プーチンの軍がウクライナへ侵攻を開始した当初から、私が受け取った支援の知らせの多くはロシアから来たものだった。だから、ロシアに暮らす人たちすべてを、プーチン体制や、その「戦争の党」を代表する者たちと同一視することは絶対に間違っているし、許しがたいことだ。プーチン体制は、自国の市民を「正しい者」と「正しくない者」にはっきりと分けている。私たちにとっては、ロシア国内でアンチファシストの連帯の鎖を繋いでいる人たちと、プーチンに連帯し、彼の犯罪行為を正当化している者らを分けることも重要だ。
1990年代に、崩壊へと向かっていたソ連の政治家たちは、コミュニズムのオルタナティブとしてナショナリズムに頼った。それは、プロレタリア的な国際主義思想の信頼を失墜させ、それを全体主義の政治と同一視させることとなった。プーチンは、旧ソ連諸国の諸民族との連帯と支援という考えを取り入れ、自分の戦争を支持する政治的な動員を蓄積するために、今日それをうまく操作している。私たちは、彼からその考えを取り上げ、非軍国化の方法を新たに作りだすべきだ。スラヴォイ・ジジェクが指摘したように、私たちの現在を、「ロシアの正しさ」と「ヨーロッパの正しさ」の闘いと解釈すべきではない。むしろこれは、戦争を挑発した者たちに対する私たち全員の闘いだ、この戦争は、反ファシストの連帯と、自分に対するまなざしも含めて、軍国主義の罠と策術を見抜くことのできる批判的なまなざしを必要としている。今日、私たちはこれまでにないほどひとつでいる必要がある。