Satokotakayanagi
20世紀初頭のロシア文学の銀の時代――歴史に輝く詩人たち、思い出されることも少なくなった詩人たち、存在も知られていない詩人たち、ひとりひとりを紹介していきます。出典はСто одна поэтесса серебряного века, СПб, 2000.
6年ぶりに眼鏡を新調した。これでようやく仕事もはかどることだろう。もう何もかもを、度が合わなくなり、つるが緩んだ眼鏡のせいにすることはできない。しっかりと顔にフィットした眼鏡はストレスがない。凄腕の職人さんのお世話になっているので、私にとってはやや高価だがすぐれもの。一人ひとりの顔に合わせて、小一時間もかけて丁寧につるの曲がり具合などを調整してくれる。そうして手渡された眼鏡には、毎日欧文を長時間見る身としてはお金に換えられない快適さがある。 もともと私は眼がいい(見る眼があ
今年も2月3日がやってきた。 節分だ、豆まきだ、そしていまどきは恵方巻だ。 鬼は外、福は内、と毎年小さな声で豆まきを欠かさずにいる。上京して一人暮らしになってからも、節分前になると母から宅配便が届き、そこには必ず豆と鬼の面が入っていた。豆まきを疎かにすることをなぜか母は許さなかった。 そんな母の人生を振り返れば、豆まきも、金運に恵まれる春財布も蛇皮も、厄除けになるという指輪も、毎月欠かさない墓参りも何のご利益もないことを証明したにすぎなかった。だから私は、財布も指輪も好きな
静かな年始を過ごすようになって時間ができたこともあり、かつて賑やかに迎えた新年をともに過ごした身内をゆっくりと思いだすことが多い。祖父がせっせと正月料理を準備していたことや、お年玉袋を大量に用意して頭を抱えている母や、曾祖母の家での餅つきや、なんとなくいつもより浮かれている幼い私たちのことや……。 二人いるはずの祖母は、私が生まれたときにはすでに二人ともいなかった。母方の祖母は、母が10歳のときに結核で亡くなり、父方の祖母は私が生まれる数年前に亡くなったようだがよくわからな
2022年9月7日(水)の忘備録 台風一過の晴れた日。佐賀市内のビジネスホテルを出て路線バスに乗る。30分ほどで着いたそこは、母方の祖父の故郷だ。元村役場前でバスを降りると、役場の裏にある郷土資料館の小さな分室に寄り、町史誌を閲覧してこの地の歴史をざっとたどった。 ここに来るのは40数年ぶり。子どもの頃に誰かの法事があったとき以来だ。祖父と母と私と弟。鹿児島本線に乗り、鳥栖で長崎本線に乗り換え、佐賀駅からタクシーに乗った(のだと思う)。乗り物酔いがひどかった私は、あの日も
8月25日に代官山のアートフロントギャラリーへエカテリーナ・ムロムツェワの「Women in black」展を見にいった。前の週には新潟の展示も見たし、どちらも見逃さずにすんでよかった。アートの批評など私にはまったくできないので、これから書くことは、なんでもすぐに忘れてしまう自分のためのメモだけれど、ロシアの女性たちのことをいつも見ている身だから、少しは他の人と違った感想ではあるかもしれない。現代アートをこんなに身近に感じたことはないんじゃないかな(忘れているだけかも)。
ようやく見に行った。見損ねなくてよかった。あらすじや批評はすでにたくさん出ていると思うから、自分のための忘備録として直後の感想を残しておこうと思う。必ず見るつもりでいたので、他の人の評価はあまりしっかりとは読まないでいた。でも概ね良い映画だと言われていることは知っている。 その上であえて言うと――とても良い映画だった。動く絵画のような映像は、独ソ戦直後のレニングラードがかくも美しいのかと思えるほど。そして、役者さんたちの演技が見事。スターリン時代が舞台なのに心から憎める人は
今日は母の誕生日。生きていれば76歳、会えなくなってから23年が経った。母との関係をきちんと書いたなら、3巻ものぐらいになりそうなほど重く長い話になるけれど、今のところそれは書く気になれない。私が20歳くらいの頃、「私のことを小説に書いてよ」と母によく言われた。自分の人生をドラマティックなものだと思っていることが鼻につき、「絶対に嫌、恥さらしなんかしない」と私は冷たく返していた。私と違い、母に愛されていた弟なら喜んで書いたかもしれないが、彼は文章というものを読むことも書くこと
台風を待つ東京の雨から逃げるように新幹線に乗り、やがて車窓に広がる柔らかな緑の水田と青い空を眺めながら、おばあさんの家にやってきた。 おばあさんは私のおばあさんではなく、血もつながってなく、ひょんな縁でつながった親戚にすぎないけれど、もう誰も住んでいないおばあさんの家に、身軽な私は風を通しにときどきやってくる。 おばあさんの古い家には庭がある。すごく大きな庭ではないが、もしも東京なら、ここに小さな家を二軒くらい建ててしまう程度には広い。おばあさんは植物がとても好きだったから
これは5月11日付けでフェミニスト反戦レジスタンスのSNSに掲載された、5月9日の活動の報告のひとつ。とても小さな小説を読んでいるような気持ちになった。 ***** 体調のせいで大掛かりなアクションに出ることができなかった、そんな力がなくって。 それに、人びとが自国のネオナチのかぎ十字で、記憶の日を傷つけるところを見る力もなかった。私は中庭へ出て、二時間しっかりと、固くなった芝生を小さなスコップで掘り返した、隣人の誰かがツォイの「変化」を聞いていた――わざとなのか、偶然な
旧ソ連圏のフェミニズム・ジェンダー研究の第一人者で、ハリコフ・ジェンダー研究センターの創設者でもあるイリーナ・ジェレプキナは、現在もハリコフの自宅で戦禍を過ごしている。これは、彼女が『ボストン・レビュー』に寄稿したテキストの訳です。ちなみにこれは私の実力不足ゆえに、ロシア語からの重訳になっています。英語が得意な方は、オリジナルで読まれることをおすすめします。オリジナル:https://bostonreview.net/articles/dispatch-from-kharki
ロシアの作家カテリーナ・コジェヴィナが書いた自分宛てのオープンレター。重い気分が晴れない日々、安全な場所にいながら嘆く自分を恥じずに、力を抜いて、そして最後まで現実を見つめ続けるための優しく厳しい手紙。 ☆自分へのオープンレター 1. あなたはひとりじゃない。 2. ことばを出してみるといい。うちにこもったことばたちが化膿しはじめないように。書く、喋る、吠える、枕に向かって吐きだす――どんな方法でもいい。 3. いま起きていることをすべて覚えておくこと。あなたの中で起
*ロシアのフェミニストたちへの結集を呼びかける反戦レジスタンスの立ち上げが宣言され、マニフェストが公開されたので以下に訳出しました。責任者はジェンダー研究者でジャーナリストでもあるエッラ・ロスマン、その他のメンバーは匿名となっています。以下、全文です。 2月24日、モスクワ時間の午前5時半頃、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンは、「非ナチ化」と「非武装化」のためにウクライナ領土内での「特殊作戦」を行うと発表した。この作戦は数カ月かけて準備されたものだ――ロシア軍は何カ月もか
白い鳩は舞い上がって霧に溶け 霧のひとしずくとなり ただ翼だけはぴんと広げ どうやら月にはりついたようだ 白き顔の母に そこでは 肉体なき愛が光に溢れ 愛しい鳩は 原初の乳へと戻りゆき その白き種を 原初の粘土へと吐きだし そこでは私の臆病な魂が目を伏せて おまえの魂にくちづける 時間と空間を克服し 現在オランダに暮らすマリーナ・パレイ(1955-)という作家が、膨大な量の詩を書いていることを知る人はそんなに多くないかもしれない。彼女は日々、呼吸するように詩を書いており、
愛しい人、愛しき人よ、秋が 猟師の角笛を吹いている 空と大地をヴルーベリは色とりどりに塗り そして死を運命づけた 愛しい人、愛しき人よ、見張りに立つ 赤熱した矢は だれの弓か 紅い羽をあつめるは風 占いのために いかなる国々へと我らに道を示すのか よそ者の定める的は? 愛しい人、愛しき人よ、我ら
Fish 私のココにキスして 私のココには水がある 私のソコにキスして 私のソコにも水がある 雨が四日も降りつづいている やすみなく 私のうえに 私のこめかみにキスして 私のソコには魚の体液が 透明な口にキスして 小さな魚がソコに生きてる ゆっくりとした口でキスして 鯰が鯰にキスするように メカジキは腹を立てている 私たちの逢瀬を望んでいないんだ 私たちのあいだにでんと横たわる 全身 水ガラス でも メカジキ越しに 私はじっくり観察できる 貴き刺繍を 私のために開かれた唇を
鶴 昨日のうちに ひと気ない森は 悲しそうに私に別れを告げた 春の喜ばしき再会の時まで 黄に染まりだしたその葉を落としながら 木の葉らは私の道をずっと覆い隠そうとした 音たてぬ金色の雨のように そして木々はそっと囁いていた 私に 彼らのもとへ戻るようにと…… 私たちには 別れることはとても困難だった…… 不意に空から それとも遠い野からか いと高らかに いと悲し気に うっとりするよな 鶴どもを呼びあつめる声が響いた 黄に染まったこの森から 色あせたこの空から