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私はとても幸せだった、つまり、とても孤独だった
***
凍てついた晩に ふざけて口にしたことを
朝になって 嘘だったとは云うまい
なにかの足あとが 星のように
雪のうえに つづいている
さようなら 副馬たちが眠たげに
ぴんと張った手綱のさきで 身を震わせる
揺れでもすれば かしいだ頸木の端を
道標が引っ掻くことだろう
黒ずんだ轅が 不規則にたわむたびに
わたしは思いだすのだろう
あそこでは 友らが笑い
いつもと同じ椅子や机があることを
暖かで重い扉の向こうには
湯気に 煙に 声
そうね 今日の私は最後まで
強情で朗らかだった
そうね 誓いは朝にしましょう
私は太陽がこわいから
嘲笑われた誓いはすべて
翳くなってから果たしているの
ニーナ・ベルベーロワ(1901-1993)のことを”亡命文学最後の花”などと呼ぶのはやめにしよう。そんなコピーは、私のようなひねた読者を遠ざける。
あるとき、ある人からベルベーロワの本を一冊もらった。もう要らないから、と。頁をめくると晩年の詩人の言葉が目にとまる。
「私の人生はとても幸せだった、つまり、とても孤独だった」
詩人との出会いは、詩人自身の言葉との出会いでしか叶わない。ベルベーロワの言葉は常にすっきりとしていて強い意志をもっている。20世紀を生き抜いた詩人は、この世界が複雑で矛盾に満ちたものであることを、最後までまっすぐに受けとめた人だ。
彼女を有名にしたものの名をここでは挙げずにいよう。一篇の無題の詩があれば出会いには充分ではないか。