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ポリーナ・バルスコワ

Fish

私のココにキスして
私のココには水がある
私のソコにキスして
私のソコにも水がある
雨が四日も降りつづいている
やすみなく 私のうえに
私のこめかみにキスして
私のソコには魚の体液が
透明な口にキスして
小さな魚がソコに生きてる
ゆっくりとした口でキスして
鯰が鯰にキスするように
メカジキは腹を立てている
私たちの逢瀬を望んでいないんだ
私たちのあいだにでんと横たわる
全身 水ガラス
でも メカジキ越しに
私はじっくり観察できる
貴き刺繍を
私のために開かれた唇を
音なき闇で 私に囁くために
開かれた唇を

You are so sweet and warm
Like a little darling worm.

ポリーナ・バルスコワ(1976-)レニングラード生まれ。1999年からアメリカ在住。さまざまな賞を受賞しつつ、さまざまな評価にさらされる現代詩人は、アメリカにいても「ロシアの読者のために書く」ことを貫いている。「他の読者は今もこれからもいない」と。そう断言する詩人に抗うように、日本語に訳してみる。でもそれもバルスコワにはどうだっていいにちがいない。

ロシアの読者は彼女の創作を、「アクメイズムだという人もいれば、生理的だ、モダニズムだ、傲慢だ、卑俗だ、いかがわしい、センチメンタルだ、恥知らずだ……」とさまざまに受けとるが、バルスコワは、「それぞれが好きに読めばいい」とクールだ。

「私には、彫琢された恥知らずな空虚が心地よい空間」なのだからと。

ここに訳出した詩「Fish」は彼女が名刺代わりにしているもの。
一方で、レニングラード封鎖を大きなテーマのひとつとする彼女は、この戦争にまつわる、これまでに書かれた膨大なテクストとは一線を画し、体験者の語りなどを意識しない。彼女の家族も誰もこの悲劇を経験していない。それでもレニングラードに生まれ育った詩人には、確固たる封鎖の「記憶」がある。こうした「事後記憶」はいま世界中で新しい文学の豊かな土壌となりつつある。


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