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周りの人を気にして生きていたら自分の限界を見失ってしまった


「自己中心的な人」
大抵はよくない表現で使われるし、昔はこんな人にはなりたくないと思っていました。


しかし歳を重ね、世の人は基本、自分勝手に生きていることを知りました。

自分勝手というとよくない表現かもしれませんが、
「自分軸で生きる」「自分を尊重して生きる」というより、個人的には自分勝手という方がなぜかしっくりきます。

周りの機嫌を気にして、いわゆる他人軸で生きていた自分には、それくらい言い切ったほうが楽ですしわかりやすいし開き直ることができます。


自分より周りの人。
それがいつしか当たり前になり、手のかからないような人生を送るように努め、おとなしく勉学に励み、優等生であることを望んでいました。誰も望んでいないのに。
手のかからないように生きるのを理想としていたのに、我ながら手がかかる人になりました。

いつも笑顔で、自分の話より周りの話をうんうんと聞く。それを「優しい」と評価してもらうことも多かったけど、今では周りの人のことを考える方が、難しくなりました。

私は自分勝手な人間になりました。



小中学生の頃に自分の心と向き合わず、本当の気持ちを無視し続けてしまった原因のひとつがきっと、双極性障害という形で現れたのかなと思います。
笑って誤魔化す癖もつきました。小さい頃はそれで許されたからです。

大人になり、他人と関わるたびに自分の本性を知るようになり、嫌な気分になることが多くなりました。
特に「周りによく見られたい」気持ちが抜けていない自分。もちろん悪く見られたい人など少ないとは思うけど、「自然に演じてしまっている」自分を知るたびに哀しくなります。

もう無理しなくていいんだよ、と言いたくなる。
素の自分を見せても受け入れてくれるから大丈夫だよ、と。

3年ほど前までは、親しい人といても取り繕って、最後は疲れて軽い鬱の症状になることが多く、疲れないよう自分を出せるようになるのは時間がかかりました。


子供の頃って、家庭環境にはよりますが、良くも悪くも基本的には無邪気で純粋で、それを抑えることの調節が年齢とともに絞られるイメージなんですが(「我慢」にも繋がると思います)

思い返すと、
ありのままの自分で勝負したことがない。
無邪気でいた記憶がない。

ありのままでぶつかったことがないから「素の自分」が出ることや出てしまうことに少し臆病になる。
もちろん全てを演じているわけではないのですが、受け入れてもらえる自信というものが奥底では持てていない。

ですが、ある程度自分勝手に生きて、自分を優先できている人の方が、他人に優しくできるし余裕があると思うし、そうなりたいのです。


もう少し早く知りたかった。

●友達も大事だけど、まず自分の気持ちを大事にすること。それが悪いことではないこと。

●学校か家庭か、どこでもいいからどこかで本心を吐き出すこと。吐き出せる場所を見つけること。

●断りたい時の相手への言葉の選び方。

そして何より、

自分の「無理してる」の境界点の知り方、気づく力

知らずに生きているといつか壊れてしまうことを身をもって知ったからこそ、どうしたらそこに気付けるのか、とても重大なことだと思いました。

知らずにいると「ほどほど」「無理しない」が難しくなってしまう。

限界を知る。無理はしない。
自分を守るために。幸せに生きるために。


毎日体調変わるし、自分の限界は毎日変わります。
日々挑戦と向き合いです。

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