小説『出身地』 第一章
一 – 蟲壺
これは、私が親から伝え聞いた話。親もこの話を親から、つまり私の祖父母から聞いたそう。これからお話しするのは、私の祖先の出身地域の話。
私の祖先は、中国の北方の方の出身。具体的に言うと、朝鮮半島の北部やロシアに近い場所。私の祖先は、そんな寒いところから日本に来た。
その祖先が住んでいた場所の地名には、北京や上海など、公的に使われているものとは別に、その地域独自で使われている名前が存在した。今もその呼び名が存在しているかはわからないが、その祖先が中国にいた時代には、そのような俗称が使われていたそう。
「蟲壺」
それが、その場所の俗称。今回の話は、この俗称の由来。
聞いた話だと、その俗称が誕生したのは、十九世紀末頃。西暦で言うと、一八七〇年代から一八九〇年代の辺り。当時その祖先の地ではロシア人が入植を始め、一部の住民のうち、ある者はロシア人入植者たちとの商売を初め、ある者は入植者たちと小競り合いをし、またある者は遠巻きに彼ら入植者たちを見物し、ある者は我関せずだったそう。
月日は経ち、ロシア人たちの中に商売で成功する者が現れた。その中の一人が、ウラジミール。彼は宿泊所の経営などで入植者や近隣のアジア系住民相手の商売をして稼いでいたそう。巨万の富を稼ぐと、欲の矛先は金以外のものに向かうのだろうか、彼は美女を侍らせるようになった。とっかえひっかえ、という言葉が、ウラジミールの行動にピッタリだったようだ。今の女よりも、さらに美しい女を。彼はそんなふうに女性を追い求めていたそう。そんな彼は美女を求めるあまり、懸賞金を用意した。
「絶世の美女を連れてきた者には、大金を出す」
その額は、彼の資産の一割とも三割とも言われていた。付近の住民は、入植者たちも、土着のアジア人たちも、挙って美女を探し始めた。そのようにして彼らが連れてきた美女候補たちを見るたびに、ウラジミールはがっかりとした表情で
「この女よりも美しい女を、俺は知っている」
と言い、彼の眼鏡に適う者は出なかった。
「とっておきの美女を連れてきた」
そう言って門を叩いたのが、慈光という男。どこから見つけてきたのか、彼はある女を連れて、ウラジミールの元を訪ねた。当時の美しさの基準はわからないが、彼女は一目でウラジミールの目を奪ったそう。カタコトのロシア語で懸命に話す慈光の説明もほとんど聞かず、ウラジミールは金だけを払い、彼女を自宅に招き入れたそうだ。
二、三日が経過した頃、ウラジミールはその美女を地下室に呼びつけた。何の警戒心も抱かずに地下に来た彼女。ウラジミールは大きな壺の側に立っていた。その壺には梯子が立てかけられており、壺の上には大きな蓋があった。
「梯子を上って、壺の蓋を取ってくれないか?」
彼はそうお願いしたそう。彼女は言われた通りにする。彼女は蓋を取り、下にいるウラジミールにそれを渡した。壺の中を見た彼女は言葉を失った。中に入っていたのは、無数の生き物。ヘビ、ヒル、ミミズ、ムカデ、ゴキブリ、人から忌み嫌われるような生き物がその中を満たしていた。互いに蠢き、絡み合うそれらの生き物の中には、明らかに毒を持っているものもあったそう。恐ろしい光景に微動だにできずにいるその女。そのとき、彼女は下から押されるのを感じた。バランスを崩して壺の中に落ちた彼女。上から見下ろしていたのは、ウラジミール本人。
「その壺の中で身体を清めると、さらに美しくなり、若さを長く保つことができるそうだ。中国人が、そう教えてくれた」
彼はそう言って蓋を閉め、その場を立ち去った。
明くる日、ウラジミールは壺の蓋を開けた。中にいたのは、その女ただ一人。無数の虫は、跡形もなく消え去っていたとのこと。
「気分はどうだ、ソフィア」
ウラジミールはその女のことをそう呼んでいた。目を覚ました彼女。
「とても、とてもいい気分ですわ」
彼女はそう答え、妖艶な笑顔を浮かべたそう。
その日の夜、二人は同じベッドで寝ていると、彼女は起き上がり、彼の上に四つん這いになった。
「なんだ? 俺と一緒にしたいのか?」
下品な笑みを浮かべてウラジミールはそう訊いた。彼女は答えず、大きく口を開けた。その直後、彼女の中からヘビやミミズ、毒ガエルなどの虫が連なって出てきた。慌てて彼女をどかそうともがく彼。しかし彼女は彼の両腕と両脚をものすごい力で抑え、彼は身動きが取れない状態になった。なす術もなく彼はその身を虫たちに食われ、息絶えた。後に残ったのは、彼の骸骨ばかりだったそう。
彼女と虫たちの暴走は収まらず、彼の使用人を食い荒らし、屋敷を占拠したそう。対応に困った入植者たちは対策を講じ、霊媒師を探すことにした。必死の努力と幸運の末、入植者たちは霊媒師を見つけることができ、助けを求めた。その霊媒師が屋敷に赴いて呪術を駆使したところ、虫たちは即座に消え去り、女は姿を消したそう。
入植者たちは謝礼を渡し、霊媒師はその場を去った。その後、入植者たちは悪魔に占拠されたその屋敷を忌み嫌い、焼いて灰にした。
その話が入植者の間だけではなく、周囲のアジア人たちにも伝わった。こうして、その地は「蟲壺」と呼ばれるようになった。
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