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神話と現代の境目へ(出雲旅その10)~神代から切れ目なく続く出雲大社 後編~



【前回までのあらすじ】

令和6年元旦に起きた震災で心に期するところがあった野郎二人。出雲を目指して旅することになった。しかし、時間は1月4日の夕方から5日の夜まで、約24時間しかない。「24 -TWENTY FOUR-」のように緊迫した「中国大回転」旅が今始まる。

中国地方大回転ルート

福山駅→米子駅前スーパーホテル→赤猪岩神社→清水井→境台場公園「美保関事件」慰霊塔→美保関灯台→美保神社→参道である青石畳通りと佛谷寺→「神仏の通い路」を通って島根半島を西へ横断→「かねや」で出雲そばを食べる→出雲大社をお参りする←イマココ

境内の広さと参道の長さが半端ではない

【かつての出雲大社の姿を求めて「宝物殿」へ】

本殿は当たり前だが写真は禁止されている。
写真を撮らないからこそ心に焼き付けようと一生懸命見ると、改めてその無骨さ、巨大さに圧倒される。
かつては48㍍、さらに神代には96㍍あったと伝わるのだから、その姿を見たかったなぁと思う。

さて、本殿前の写真の右下の石畳に◯が見えるだろうか。
これこそ高層神殿を支えていた宇豆柱(うづばしら)が出土された跡なのだ。
平成12年に出雲大社本殿前の「◯」の地点から巨大な柱の遺構が発見された。杉の大木を3本束ねて、一つの巨大な柱を形成していたと想定される。
この発見により、古代の高層神殿が存在した可能性が高まったのだ。


國學院のホームページが、この宇豆柱発見の意義を面白くまとめている。

宝物殿は本殿の横にある。

宝物殿(神祜殿)

宝物殿は本来「神祜殿(しんこでん)」と呼ばれ「神の助け」「神から幸を授かる」の意味を持つ。
神に捧げられた宝物が納められている館内は写真撮影禁止だ。

大人300円で入ることができるが、少なくともその分の感動はある。
写真撮影禁止のため、ホームページの写真から館内の様子を見てみよう

高層神殿再現模型
13世紀に本殿を支えていた心御柱(しんのみはしら)

入っていきなり、巨木の化石のようなものが見える。
これは13世紀に本殿を支えていた心御柱(しんのみはしら)だ。
宇豆柱より小ぶりだが、それでも十分巨大だ。

【海から神木が与えられる「寄木(よりき)の御造営」】

館内の説明の中で、非常に興味深く思ったのは、高層故に神殿が何度も「顛倒(てんとう)」していることだ。
倒れても倒れても修復してきたのだろう。
これだけの神殿には、人手や資金、そしてとんでもない量の木材が必要になるだろう。

実は、造営のための木材が流れ着いたことがあるという。
本殿が天仁元年(1108年)に転倒するも修復できず、大国主神は御仮殿に移っていただく形になったという。
天仁3年(1110年)7月のこと、稲佐の浜に長さ10丈(約30㍍)の巨木100本が漂着していたという。
そして、因幡の国(鳥取県東部)の海岸には長さ15丈(約45㍍)太さ1丈5尺(約4・5㍍)もある巨木1本が漂着したという。
で、デカすぎぃ!!!

神託があり、「出雲大社の御造営は、諸国の神様が受け持たれて行われる。今度は自分の番であり、すでに御用材は納めた。そして、この巨木1本は自分の得分で、これをもって自分が鎮まる上宮の御造営をなすべき」と告げられる。
そこで、この修復を「寄木(よりき)の御造営」と特に伝え来ています。

上記のような神秘的な出来事が大変面白かったが、実際にお祀りに使われるもの、昔の出雲大社の姿など展示物が所狭しと並べられており、「宝物殿」は一見の価値がありますぞ!!

【参道を逆行】

勢留の大鳥居から本殿まで900㍍もある

駐車場に戻ろうと考え歩き始めるが、実は参道を逆行していた。
そもそも参道の横から入って参拝したため、正式な「勢溜(せいどめ)の大鳥居」から入ってきてなかった。
そして参道がとにかく長く、約900メートルもあるのだ。

【ムスビの御神像が示す、心の中の「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)】

「ムスビの御神像」は大国主神が「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」を仰ぐ姿が表されている。
大国主神は、国造りを共に行った少彦名命(すくなびこなのかみ)が常世に帰ってしまったため、途方にくれていると海のかなたから、光る神が近づいてきた。
それが「幸魂(さきみたま)」「奇魂(くしみたま)」であった。そして「今何処にか住まむと欲ふ」との問いに「三諸山(みむろのやま=三輪山)に住まむと欲ふ」と答えたので、大国主神は三輪山に社を築き、大神神社の祭神になった。
神々には荒々しい荒魂(あらみたま)と恵みをもたらす和魂(にぎみたま)の2面性があると言われるが、その和魂には「幸魂(さきみたま)」と「奇魂(くしみたま)」に分けられるという。幸魂は人に幸を与え、収穫をもたらすという。幸(さき)は裂きに通じて増殖する意味になる。
そして奇魂は奇跡によって幸を与えるとされている。奇(くし)は櫛に通じ整えるという意味もある。
大国主命は「幸魂」「奇魂」を仰ぐことで本来の力を引き出すことができ、縁結びの神ともなったという。

これは神語「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)」に未だに生きている。

【因幡の白兎】


ウサギを救う大国主神
要するにこの場面です

このウサギを救った後、八上比売命(やがみひめのみこと)と結婚したことで、大国主神(当時は大己貴命)は猪と称した赤い岩に焼き潰される酷い目にあうのだった。
朝お参りした赤猪岩神社を思い出す。


本当に境内が広い。
ようやく駐車場が見えてきた。


さて、いよいよ国譲りの聖地「稲佐の浜」へ参ります。

神話の現代の境目へ(出雲旅その11)へ続きます。

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