ハイライト吸ってるやつはやめろ
21歳の冬、上京をした。
仕事で上手くいかず、家にいても家族とギクシャクし半分自暴自棄になって逃げるように家を飛び出した。
その日夜行バスから見る景色はいつもと少し違うかな、と期待していたけどなんら変わりはなかった。
東京では一人暮らしをしている友人の家にしばらく居させてもらうことができたし、仕事もすぐに見つかった。
初めての場所、初めて会う人々、毎日が刺激的だった。
ある日、友人から「タバコが吸える喫茶店を見つけたから行こう」と、誘いを受けとある喫茶店に向かった。
このご時世喫煙ができるお店は我々にとってとても貴重だった。
友人も私もかなりのヘビースモーカーで、友人はPeace、私はhi-liteを吸っていて、そんな我々の十八番はサザンオールスターズの「ピースとハイライト」だったりする。
店に到着し重たいドアを開けると、いかにも年季がはいっているそんな音で迎えられた。
入ってすぐのカウンターに70歳くらいの男性が慣れた手つきで珈琲を淹れている。
「いらっしゃいませ。」
低く落ち着いた声。何処となく温かみが感じられる。
この人はきっとこの店のマスターであろう。
そう思った。
席数は10席程、ほとんどの人がひとりで訪れている。これは良い店を見つけた。
長年ヤニに晒された壁紙はその表面を黄色に変え、歴史の長さと人々の癒しであることをを物語っていた。
そこに彼女はいた。
黄色い背景とは対照的な真っ白なセーターが良く似合う。
柳色のエプロンをつけてせっせと働いている彼女からはとても感じの良い雰囲気が伝わってくる。
常連さん達との会話を聞く限り、かなり愛されているのであろう。
よく笑うとても可愛らしい人だった。
もしかしたらこの時から既に彼女のことが気になっていたのかもしれない。
彼女はこの店で2年ほどアルバイトをしている大学生だった。
既に何回か来店していた友人の顔を覚えていて、二人は世間話を始めていた。
私はというと、適当に相槌を打ってはスマホに目を落としこの店の空気に混ざっていった。
席に着いて珈琲を待つ間私達はもちろんタバコを吸った。
珈琲とタバコ。何故こんなに相性がいいのか。
そんなことをぼんやり考えていると、彼女は言った。
「ハイライト吸ってる人って、かっこいい人多いですよね。」
ドキッとした。
自分でも脈が速くなるのがわかった。
顔を上げて彼女を見ると、真っ直ぐに私を見つめていた。なんと綺麗な目をしているのだ。
なんの曇りのないその澄み切った瞳に私は捉えられていた。だが、それで十分だった。
確かに昔からカッコいいと言われることは多かった。
ただ彼女に言われた言葉は今までとは比べ物にならない程嬉しかった。そのことに驚いた。
我ながらチョロい。だがこれが現実だった。
私はすっかり彼女の虜となり、それから足繁く店に通うようになった。
同い年もあったおかげか私達が仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
私と彼女は好みがよく似ていた。
好きな本、映画、音楽色々なものを共有し合っていった。
いつしかお店以外でも会うようになっていた。
「このシアターは映画の二本立てが1500円で観れる。」
「この街は古本市をやると道いっぱいに本が並ぶ。」
「ここのお寺は梅雨の時期紫陽花が一面に咲いてとても綺麗。」
彼女はとても物知りで何も分からない私に色んなことを教えてくれた。
彼女と行く場所はどこも楽しかったし、なにより彼女が笑っている姿を見れることが嬉しかった。
彼女といると今までの歩んできた人生がとてもちっぽけに思えてくる反面、この人に会う為に今までがあったのだと妙に納得する部分もあった。
彼女を深く知りたくなった。
ただ、初心な私は会うたび己に増えていく感情が何なのかわからなかった。
温かいより、ぬるい。優しいより、くすぐったい。そんなものだ。
でも、今はそれに浸かっていたい。
半分溺れていても、それで良い。
そう思っていた。
ある日、彼女の家で映画を観てると、
「好きな人とかいるの?」
そう唐突に言われた。
見ていた映画はゴリゴリのアクションモノだったのでこれは、私のことだと確信した。
「よくわかんないけど、一緒にいて楽しい人はいるよ」
「ふーん、その人とずっと一緒にいたい?」
「どうだろう、けど、今が続けば良いって思ってる」
「そっか、そうだね」
そう呟くと彼女は喋ることをやめた。
二人の沈黙そして、垂れ流される映画。
その沈黙だけが全てをわかっていた。
映画を観終わると私は彼女の家を後にした。
彼女はいつもと変わらずマンションの下まで私を送ってくれた。
映画は私の好みだった。
終わりは突然だった。
彼女はあの日以来私の前に現れることはなかった。
いくら連絡をしても返事が来ることはなかったし、あのお店のマスターに話を聞くと既に辞めていたことがわかった。
彼女と一緒に行った所、これから一緒に行く予定だった場所、探しても探しても、彼女は何処にもいなかった。
今ならわかる、こうなる事はわかっていたのだ。
私にとって彼女は都合が良かった、いや、良すぎたのだ。
田舎から都会に出てきて、何もない空っぽの私を埋めるにはちょうど良かったのだ。
私が彼女に求めていたのはこの一瞬の寂しさを紛らわす薬にすぎなかった。
だが彼女は違う。
彼女は本気だった。
彼女は私を選んだのだ。
私は終わりを避けているだけだった。
それを、その事実に向き合おうと勇気を振り絞った彼女を私は理解してあげられなかった。
己の無力さにもはやなす術はなかった。
残ったのは、虚しさと、寂しさだけだった。
5年経った今でも私はこの事を思い出す。
忘れたいけど、忘れたくないそんな矛盾を愛している。
彼女はきっと今幸せだろう。
人は常々変わっていくものだから、変わらないのは今も吸い続けているハイライトの味だけ。
これからも変わらない事を願っている。
ただ、これだけは言わせて欲しい。
ハイライト吸ってるやつはやめておけ。