身近なところにある戦争の跡
2002年、圏央道の一部である「さがみ縦貫道路」の建設中に神奈川県高座郡寒川町の工事現場で毒ガス入りの瓶が見つかりました。古い瓶ですが異臭がし、作業員11人が発疹やかぶれなどの症状を発しました。防衛庁が分析したところ中身は化学兵器に使われるイペリット(マスタードガス)と判明します。その後現場の調査が行われ、11本の毒物入り瓶のほか不審物を含む約800本の瓶が見つかりますが、それらは近くに設けられた「無害化処理設備」で処理され、現場の安全が確認されたのち圏央道の建設は再開されました。
寒川町はサーフィンで知られる湘南の茅ヶ崎市の北に位置しています。戦時中そこには相模海軍工廠と呼ばれる施設がありましたが、半ば秘密裏に化学兵器が製造されていたと言われています。
あるnoterさんが紹介してくださった本(安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房 )を読んで私はこの事件のことを知りました。圏央道はたびたび使用している道路です。でもそこでこのような事件があったことはまったく知りませんでした。先日機会があったので現場を訪れてみました。
JR相模線寒川駅から少し行ったところに廃線となった西寒川支線の線路が残されています。相模線は1921年に相模鉄道が私鉄線として開業し、その後国有化されて相模線となります。西寒川支線は1923年に相模川の砂利採取運搬目的に開通しましたが、1984年に廃線となりました。
西寒川線の線路跡に沿って遊歩道が続きます。
線路の脇に一之宮公園があり、駅名板を模した看板がありました。
遊歩道を進むと八角広場という公園に行き着きます。ここにかつて西寒川駅がありました。公園の中には「相模旧海軍工廠跡」と書かれた碑が建っています。
碑の裏側には以下の説明が刻まれています。
八角公園の向こうに相模縦貫道の高架が見えます。
高架下をしばらく歩いて行くと「注意!A事案区域」と書かれた看板がありました。イペリットを含んだ瓶が見つかった場所で、危険を知らせる看板です。どくろの表示が異様な感じを与えます。
A事案区域というのは環境省が平成15年に実施した<昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査フォローアップ調査>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定した事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域です。
1.旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町一之宮七丁目付近)
2.旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)
3.旧陸軍習志野学校地(千葉県習志野市・船橋市内)
(寒川町ホームページより)
瓶はこの辺りに埋められていたようです。
現在この地域一帯は広大な工場群になっていますが、今も兵器はどこかに埋まっているような気がします。
先の本(『戦争とバスタオル』)には瀬戸内海に浮かぶ大久野島のことも書かれています。この島にはかつて陸軍造兵廠の巨大な火工廠があり秘密裏に大量の毒ガス兵器が作られていました。日本最大規模と言われたその毒ガス工場の実態を読むと戦争は今もまだ続いているという印象を拭い去ることができません。