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身近なところにある戦争の跡

2002年、圏央道の一部である「さがみ縦貫道路」の建設中に神奈川県高座郡寒川町の工事現場で毒ガス入りの瓶が見つかりました。古い瓶ですが異臭がし、作業員11人が発疹やかぶれなどの症状を発しました。防衛庁が分析したところ中身は化学兵器に使われるイペリット(マスタードガス)と判明します。その後現場の調査が行われ、11本の毒物入り瓶のほか不審物を含む約800本の瓶が見つかりますが、それらは近くに設けられた「無害化処理設備」で処理され、現場の安全が確認されたのち圏央道の建設は再開されました。

 2002年9月、神奈川県高座郡寒川町の「さがみ縦貫道路」工事現場(旧日本軍相模海軍工廠跡地)において、土工掘削中に古いビール瓶数本が割れた状態で発見され、同時に異臭が確認された。その後10月上旬に、作業員6名が発疹、かぶれ等の症状を呈した。工事を担当していた国土交通省が防衛庁に分析を依頼した結果、当該ビール瓶内容物の主成分は、マスタード(びらん剤)及びクロロアセトフェノン(催涙剤)であるとの分析結果が得られた。その後、更に数本のビール瓶が発見され、合計11本の不審物の入ったビール瓶が見つかった(内8本がマスタード、1本がルイサイト(びらん剤)、1本がクロロアセトフェノン、1本が微量のマスタードを含む固形物)。

 なお、工事現場から出た汚染された掘削土(残土)は、寒川町内の仮置場所において、飛散・流出等の防止用テント内に保管されており、不審物入りのビール瓶とともに国土交通省職員等によって24時間体制で管理が実施されている。

 同年12月、日本は、当該ビール瓶のマスタード等を「老朽化した化学兵器」としてOPCWに申告した。2004年3月現在、化学剤の廃棄と汚染された残土の処理に関する計画を推進中である。

外務省の2004年ホームページより

寒川町はサーフィンで知られる湘南の茅ヶ崎市の北に位置しています。戦時中そこには相模海軍工廠と呼ばれる施設がありましたが、半ば秘密裏に化学兵器が製造されていたと言われています。

相模海軍工廠は現在の一之宮7丁目付近に広さ70万平方メートルの規模で広がり、最盛期に約3千人が従事、町内外から徴用された人や学生たちが化学兵器の製造に関わった。「宇宙人のような」ゴム製の服を着て薬品を攪拌したり爆弾用の容器に入れる作業もあり、劇物が衣服に付着して皮膚がただれることもあったという。親が工廠の軍医だった女性(81・一之宮在住)は「親から、工場内の事故で人が折り重なって亡くなったとか、終戦後に穴をほじくって毒ガスを埋めたと聞いた。当時の工廠一帯は異様な雰囲気だった」と振り返る。過酷な環境下での作業の末、戦後も多くの人が慢性気管支炎や肺気腫などの後遺症に苦しみ、国による救済認定も行われた。「化学兵器が作られていた事実を忘れないでほしい」「このつらい経験を若者たちに伝えたい」――その証言集は寒川文書館の書棚の一角に並んでいる。

タウンニュース寒川版より


あるnoterさんが紹介してくださった本(安田浩一・金井真紀『戦争とバスタオル』亜紀書房 )を読んで私はこの事件のことを知りました。圏央道はたびたび使用している道路です。でもそこでこのような事件があったことはまったく知りませんでした。先日機会があったので現場を訪れてみました。

JR相模線寒川駅から少し行ったところに廃線となった西寒川支線の線路が残されています。相模線は1921年に相模鉄道が私鉄線として開業し、その後国有化されて相模線となります。西寒川支線は1923年に相模川の砂利採取運搬目的に開通しましたが、1984年に廃線となりました。

西寒川線の線路跡に沿って遊歩道が続きます。

線路の脇に一之宮公園があり、駅名板を模した看板がありました。

遊歩道を進むと八角広場という公園に行き着きます。ここにかつて西寒川駅がありました。公園の中には「相模旧海軍工廠跡」と書かれた碑が建っています。

碑の裏側には以下の説明が刻まれています。

ここ旧国鉄西寒川駅跡に佇んで東を望み、更に南に目を転ずるとその視界に工場群が迫る。そこは、かつて多くの仲間が営々と働いた相模海軍工廠(昭和20年 敷地704,000㎡)の跡地である。往時を偲べば、先人や友の姿が彷彿と甦り、懐旧の想いひとしおである。第二次大戦後、工場立地に恵まれ、跡地は町発展の礎となり、今日の繁栄をもたらした。
いま台地に深く根差した縁に世界の平和を願い国土の安穏を祈る。       建立 相廠会及び協力企業 昭和63年春

八角公園の向こうに相模縦貫道の高架が見えます。

高架下をしばらく歩いて行くと「注意!A事案区域」と書かれた看板がありました。イペリットを含んだ瓶が見つかった場所で、危険を知らせる看板です。どくろの表示が異様な感じを与えます。

A事案区域というのは環境省が平成15年に実施した<昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査フォローアップ調査>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定した事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域です。

1.旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町一之宮七丁目付近)

2.旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内)

3.旧陸軍習志野学校地(千葉県習志野市・船橋市内)
              (寒川町ホームページより)


瓶はこの辺りに埋められていたようです。

現在この地域一帯は広大な工場群になっていますが、今も兵器はどこかに埋まっているような気がします。

先の本(『戦争とバスタオル』)には瀬戸内海に浮かぶ大久野島のことも書かれています。この島にはかつて陸軍造兵廠の巨大な火工廠があり秘密裏に大量の毒ガス兵器が作られていました。日本最大規模と言われたその毒ガス工場の実態を読むと戦争は今もまだ続いているという印象を拭い去ることができません。

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