声を上げられない人の声を聞く
生活クラブ生協連合会が発行する『生活と自治』2024年4月号でフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが書いた記事を読みました。
かつて陸前高田市の高田松原にあった約7万本の松のうち、東日本大震災の津波に耐えて奇跡的に一本だけ残った樹齢173年の松の木。「奇跡の一本松」と呼ばれ、復興に向けた「希望の象徴」となりました。 安田さんもその姿が多くの人に力を与えてくれる存在になるはずだと思ってシャッターを切りましたが・・・
震災当時その街には安田さんの義理の両親が暮らしていましたが、二人とも津波に襲われ、義父は辛うじて命が助かりましたが、義母は1か月後に川の上流のがれきの下から遺体で見つかります。悲しみに覆われた街で自分はいったい何を発信すべきなのかと迷いながら、安田さんは「一本松」の力を信じてシャッターを切りました。
ところがその写真を見た義父はこう言います。「あなたのように、7万本だった頃の松原と一緒に暮らしてこなかった人間にとっては『希望の象徴』に見えるかもしれないが、以前の松原と毎日過ごしてきた自分にとっては、波の威力を象徴する以外の何物でもない。あの7万本が1本しか残らなかったのかって。見ていて辛くなる。できれば見たくない」
それを聞いた安田さんは思います。自分は一体だれのために希望をとらえようとしていたのだろうかと。外からやって来て「もう辛いものは見たくない」と感じてしまった自分本位の希望だったのではないだろうかと。そして、シャッターを切り、発信する前に、町の人々との対話を重ねなかったことを反省します。
街の人がみんなお父さんと同じように思っているわけではないでしょう。でも、伝えることを仕事とするジャーナリスト本来の役割は、声をあげられない人々を置き去りにしないことなのだと安田さんは自分に言い聞かせます。
震災から数年後、私も陸前高田を訪れ、「奇跡の一本松」を目にしました。たしかに一本だけ残った松の木は希望の象徴のように見えました。でも、それはその街で暮らしてこなかったよそ者の私が感じた自分本位な思いだったのかもしれません。私はジャーナリストではありませんが、このnoteで何かを伝える時にも心に留めておきたいことです。