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私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 10

8月9日(火)

ひったくりの被害に遭ったKさん

授業のあとモンパルナス墓地を訪れた。ここには有名人がたくさん眠っている。ボードレールとモーパッサンの墓を探したがいくら探しても見つからない。人に聞いても知らないと言う。残念に思ったがよくよく考えて見れば「墓を見に行く」というのもおかしな話だ。「モーパッサンの墓はこちら」などという案内板があって絵ハガキでも売られていたらそれはそれで興ざめだろう。墓地を観光地にしないところがいい。

寮に戻るとKさんがしょんぼりとベッドで寝ていた。話を聞くと町でひったくりにバッグを盗まれたと言う。バッグの中にはパスポート、現金、貴重品一式入っていたらしい。警察に行ったり大使館に行ったりして大変だったそうだ。明るく華やかな彼女もさすがに意気消沈していた。気の毒に思ったが余計な言葉はかけずにそっとしておいた。パリ生活に次第に慣れ油断が生じる頃だ。私も用心しなければと思った。
 
Kさんと言えば、彼女はソルボンヌの授業にほとんど出ていない。でも毎日出かけていて夜遅く帰ってくる。何をしているのかと聞くと最初の頃に親しくなった日本の大学生グループといっしょに行動しているという。学生グループは授業のあと、引率の教授といっしょにパリのあちこちを巡り研修をしている。夜は宿舎で議論をしているらしい。Kさんは彼らの授業が終わるころ合流し、夜までいっしょに過ごしている。自分自身が授業に出るのは気が向いたときだけだ。

教授の専門はフランス文学で、日本でもよく知られている人だ。Kさんは教授をすごく気に入っており「東大にもこんな先生がいたら私もまじめに勉強するんだけど」と言っている。ソルボンヌの授業に出るより教授と一緒にいる方が勉強になるらしい。パリに来ても自分にとって有意義だと思うことを第一に考えて行動するKさんはすごいと思う。

8月10日(水)

最後に頼るのは自分

周囲の事象を理解する上で頼るべきものは自分自身であり、自分の感性である。日本にいる時もこのことは頭ではわかっていたがそれがなかなか実行できずにいた。ついつい人に頼り、人の考えに動かされてしまう。そんな自分が歯がゆかった。

パリに来てからは何をするにも自分で考え、自分で決断しなければならない。責任も自分にある。Kさんのひったくりの件を聞いて自分の行動について改めて考えた。パリに来る前に何人もの人から「外国に行くと危ないことが多いから気をつけて」と言われた。確かにいい加減な気持ちで生活していたら危ないと思う。でも危険を判断するのは自分だ。他人に頼っていてはだめだと思う。「何が危ないのか」」「どうして危ないのか」自分で考えなければならない。そんな場面が数多くある。何事においても最後に頼るのは自分なのだと改めて思った。


8月11日(木)

今ソルボンヌの教室にいる。授業前なのでギリシャ人のリッツァは教室にあるピアノを弾いている。彼女は音楽の教師だ。これまでも時々ピアノを弾いていることがあった。彼女が弾いているのは私が始めて耳にする曲だが、とても物悲しいメロディーだ。ギリシャの音楽だろうか。ピアノを弾くリッツァの横で同じくギリシャ人の女性が曲に合わせて歌を口ずさんでいる。彼女たちの音楽を聴きながら音楽には国境がないこと感じた。


8月12日(金) 

パリの町で閉口したのが犬の糞だ。公園にも、道路にも、セーヌ川添いの散歩道にも散らばっている。何度踏みつけたことだろう。そう言えば町の中では犬を連れた人が多い。パリジェンヌが犬を連れて歩く姿は絵になるが、その見返りが大量の糞とは何ともいただけない。 

現在は飼い主が糞を片付けるようになっており、放置すると罰金も科されるようだが、でも被害は今もあるらしい↓


 犬の糞でふと思った。パリにはよい面もあればそうではない面もある。パリに限らず海外のどこの町にも言えることだが、先入観に捉われないで評価することが大事だ。私自身はこれまでフランスそしてパリを高く評価し過ぎていたように思う。「フランスかぶれ」と言ってもよいかもしれない。フランスへのあこがれがずっとあり、そのあこがれが「結晶作用」のように働き、フランスでありさえすれば何でもよいという気持ちがあったように思う。たとえよくないことでもフランスだからと美化していたようにも思う。

けれども実際にフランスに来てみると私のその認識を覆すようなことにもたびたび出会う。先入観を捨てて、客観的な目で物事を見ていこうと改めて思った。犬の糞が私に大事なことを教えてくれた。


















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