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76 いじめの加害者になっていない?
道徳の時間にみんなでいじめについて考えましたね。一年生の間でいじめが問題になってきているからです。程度の差はありますがどのクラスでもいじめは無視できない問題です。大きないじめはだめだけど、小さないじめは許されるということはありません。いじめが一部の人の間で行われていてもそれはクラス全体の問題です。いじめがはびこる土壌を作っているのはクラスのみんななのですから。どんな理由があってもいじめは許さない、いじめる人がいたら容赦しないという意識が全員の中になければいじめはなくならないと私は思います。
たとえ肉体的な被害を与えなくてもいじめは暴力です。道徳を前にみんなに書いてもらったアンケートの回答を読んで私は正直なところ寒々としたものを感じました。小学校時代からみんながどれほどたくさんのいじめを体験してきたか改めて知ったからです。直接体験しなくてもほとんどの人がいじめを見たり聞いたりしています。加害者として、被害者として、そして傍観者としてだれもがいじめに関わっています。だからいじめは決して他人事ではありません。みんなの問題です。
アンケートから私が不思議に感じたのは、いじめられた、いじめを見たという人はたくさんいるのに、いじめたという人がほとんどいないということです。いじめる人が少ないのはいいことです。でも、いじめられる人がいるということはいじめる人がいるということです。それなのにいじめたという回答がほとんどないのは不可解です。いじめだと思っていないのでしょうか。いじめたと回答するのがいやなのでしょうか(どうして?)。加害者だと認めたくないのでしょうか。
仲間外れにする、暴力をふるう、悪口や嫌味を言う、「きたない」「~菌」などと傷つくようなことを言う、バカにする。弱い人を集中的に攻撃する、嫌がることを無理やりさせる、無視する。そんなことをしている人はいませんか? 加害者になっていませんか? いじめを遠くから見て面白がっている人も同じく加害者です。
いじめの被害が毎日のように報道されます。いじめられた人の苦しみが伝えられます。被害者の中には命を絶つ人もいます。怖ろしいです。いじめている人はどういう気持ちなのでしょう。自分の行為が人を死に追いやることをどう思っているのでしょう。喜んでいるのしょうか?楽しんでいるのでしょうか。それとも後悔しているのでしょうか?報道を耳にするたびに私は被害者とともに加害者に目が向きます。加害者の気持ちを知りたいからです。加害者が哀れだと思うからです。みんなの中に加害者はいないでしょうか?
私たちはみんな同じ人間として生まれてきます。身体が大きい人も小さい人も、運動が得意な人もそうでない人も、障害を抱えていても抱えていなくても、みんな人間です。勉強ができるから偉いわけではありません。運動ができるから価値があるということでもありません。もちろん、勉強ができたり運動ができることは素晴らしいことです。でもそれは人間としての価値とは別のものです。いじめの加害者はこの基本的なことがわかっていない人のように思います。いじめを遠面白がって見ている人も同じです。とても哀れです。
私はみんなに加害者にも被害者にもなってほしくありません。