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人見豊(瞳みのる)さんの講演を聞いてきました

12月15日(日)、音楽・文学クリエーター人見豊(ひとみみのる)氏の講演会が横浜の慶應義塾大学矢上キャンパス(理工学部)で行われたので聞きに行きました。人見豊というより、かつてザ・タイガースのドラマーとして活躍した「瞳みのる」として知る人の方が多いかもしれません。主催はJACTFL(日本外国語教育推進機構)という学術機関で外国語教育び外国語学習の質的向上と普及を図ることを目的に設立された組織です。私もこれまでに何度か研究会やシンポジウムに参加したことがあります。でも、今回は雰囲気がいつもと大きく違っていました。

会場には100人以上の人が集まっていましたが、大半が中高年の女性です。おそらくザ・タイガースのファンだった人たちでしょう。オープニングでザ・タイガースの演奏ビデオがスクリーンに映し出され、人見氏が軽やかな足取りで登場すると大きな拍手が巻き起こりました。さすがに「黄色い声」は飛び交いませんでしたが。

私自身はザ・タイガースのファンというわけではありませんが、同じ京都、それも近隣の出身ということもあって、親近感を持っていました。特に人見氏に関してはグループ解散後は独自の道を歩み、他のメンバーとは異なり音楽の道を離れて表舞台に一切顔を出さなくなったことにずっと興味を持っていました。それゆえ、彼が当日どのような話をするのか楽しみでした。メディアを通してではなく、彼自身の口から語られるストーリーを聞きたくて足を運びました。

講演は小学生時代のことから始まり、高校での中国語との出会い、その後の音楽活動およびザ・タイガース時代、大学進学と中国語の研究、教員時代、そして現在の活動など多岐にわたります。

人見氏は1946年9月22日生まれです。ザ・タイガースがグループサウンズとして4年間活動し、1971年に解散した後は慶應義塾大学に入学し、中国文学を専攻します。そして大学院まで漢詩の研究を続け、大学院終了後は慶應義塾高等学校(塾高)の教諭となり、34年間漢文を中心に教鞭を取ります。(この間、私は何度か同校の授業を見に行っていますが、残念ながら彼の授業を見たことはありません) 教員を辞してからは再びミュージシャンに戻り、作詞、作曲、訳詩、戯曲の原作、脚本、日中近代音楽の交流史の研究などを行う一方で、旧ザ・タイガースのメンバーとの音楽活動を再開したり、新たなバンドを結成したりして、2016年には北京、2017・2018年には台北で公演を行っています。

高校生の頃からロックミュージシャンとして音楽を始め、その後は中国語を通して文学と関わったことから、「音楽を文学で、文学を音楽で」表現したいと考えるようになったそうです。

講演では最初に中国語との出会いについて話しました。出会いは高校時代です。彼は京都府立山城高校の定時制に進学しますが、2年生の時、文科省(当時は文部省)が中国語を第二外国語として認可したことから、彼は中国語の授業を受け始めます。しかし、当時は音楽活動も行っており、さらにザ・タイガースのメンバーになると勉強する時間などとてもなく、中国語の勉強は途中でストップします。しかしザ・タイガースが解散したとき、彼の中に再び勉強したいという意欲が湧き起こり、大学進学を決意し、中断していた中国語の勉強を再開します。人生を「初期化」してゼロから再スタートしようと思ったと彼は言います。

大学院終了後は縁あって慶應義塾高校の教師となり、2010年に退職するまで34年間教師を続けます。その間はザ・タイガースのメンバーとの関係を絶ち、メディアに顔を出すことも一切ありませんでした。保護者などから声をかけられることもあったようですが、過去を断ち切って教師の仕事に専念します。余談ですが、慶應義塾高校に進学した私の教え子の中に彼から漢文を習った生徒がいます。彼に「人見先生ってどんな方?」と聞いたところ、返ってきた言葉は「普通のおじさんだよ」というものでした。

講演全般を通して語られたのが漢詩(唐詩)の魅力です。彼は「中国文学の花」と表現していました。「春望」などの漢詩を紹介しながら、押韻や対句などについて説明し、特に押韻の重要性については繰り返し言及していました。私はそこに高校教師の姿を垣間見たような気がしました。

彼自身も詩作をしており、韻を踏ませた作品をいくつか紹介してくれました。その中のひとつ『春の眺め』という詩にも漢詩の影響をが強く感じられました。音楽活動の中にも漢詩を取り込み、文学と音楽の融合を目指しています。「文学を楽しみながら歌を作る」と言います。2024年にリリースしたアルバムの中の『秋望』という曲を聴かせてくれましたが、そこにも文学との融合が強く感じられました。

講演で語られた彼のことばをいくつか拾い集めてみます(発話そのままではありません)。

小学校1年生の時の担任がいやで絶対に教師にはならないと思っていたのに、なぜか教師になり34年間も続けてきた。人生とはわからないものだ。

(教師にはなりたくないと思っていたのに教師になったのは私も同じです)

1981年から2年間北京大学に留学したとき、かつての「革命」(1966年~1976年)の資料を調べようと図書館に行ったけど、資料がまったく見つからなかった。

(統制が学術分野にも及ぶとは! 歴史の事実を覆い隠す、あったことをなかったことにしてしまうのは今も続いています)

日本では「詞」は「曲」の一段下に見られている。

(そんな現実もあるのかと驚きました)

世界情勢について今の日本のミュージシャンは誰も、何も言わない。(自分は)言うべきことはきちんと言いたい。

(政治について語るのを避ける人は少なくないです。特に音楽で政治的メッセージを語る人は多くありません。人見氏の新曲『秋望』には平和へのメッセージがしっかり込められています)

高校で教えていたとき、僕の授業で一年間寝続けた生徒がいた。僕は決して起こさなかったんだけど、最後の授業のときに「おまえ一年間よく寝たなあ」と言ったら、彼はこう言った。「彼女は僕を寝かせてくれない」と。

(生徒とこうした会話ができるのは人見氏だからかもしれません)

最近の日本人の言語生活は貧しい、たとえば、何でも「すごい」で表現する。司会者だってそうだ。同じ言葉ばかり使う。ボキャブラリーの貧困を感じる。

音楽も同じ。言語使用が勝手気まま。韻律やリズム、規則など無視して無秩序で野放図。ただ言葉を並べているだけ。だから心に残らない。

(豊かな言葉が存在するのに言語生活が貧しいという状況は確かにあるような気がします。「かわいい」の連発もそのひとつ?)

人見氏は現在78歳。さすがの「ピー」も若々しくは見えますが、プレゼンの進め方や発する言葉の端々に年齢を感じました。しかし、文学と音楽に対する情熱は衰えを感じさせません。5歳のお子さんのためにもこの先もまだまだ活躍されることを願っています。

*ヘッダーの画像は会場で配布された公演のちらしより借用しました。



正面が講演の行われた棟
入り口の案内
日吉キャンパスのイチョウ並木
日吉記念館
人見氏が教鞭をとった慶應義塾高校

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