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運命の扉は自分で開く
オーストラリアで知り合ったヘルベルトはドイツ移民です。東ドイツで生まれたあと西ドイツに移りましたが、23歳の時に家族と離れ単身でオーストラリアに渡りました。幼い頃は家が貧しく、1歳上の兄とともに祖母の手伝いでチューリップの球根を売り歩いたと言っていました。
メルボルンに移住した彼はカメラ店を経営して生計を立てますが、1年半で3軒の店を持ち成功を収めます。その後結婚して家を買い、子どもも授かり、望むものすべても手に入れたように見えました。ところが70歳になったとき、自分一人の時間を持ちたいと妻からも子どもからも離れ北部クイーンズランドの小さな村に移り住みます。私はそこで彼に出会ったのですが、その時の彼は村にある小さな古書店で週に何日か店番をしながら自分の好きなことをやって静かに暮らしていました。
彼の家を訪ねたました。玄関のスクリーンドアを開けて中に入ると「庭のどこかにいます」と書いた紙が壁に貼られていました。ふと宮沢賢治を思い出しました。
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庭に行くとヘルベルトは庭木の手入れをしていました。広い庭にはたくさんの木が植えられ、果実のなる木も多数ありました。彼は袋いっぱいのオレンジをくれました。
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ヘルベルトは屋内でも様々な植物を育てていました。熱帯魚もたくさん飼っており、熱帯魚に話しかけながら幸せそうな表情を浮かべるのが印象的でした。ものづくりも好きで作業場にはいろいろな工具や作品が置かれていました。
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部屋の中にはドイツに関連するグッズがたくさん置かれていました。オーストラリアに来ても心は母国と深くつながっているのでしょう。チューリップの額絵が飾られ、花瓶にもチューリップが生けてありました。
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壁に目をやるとタイルの壁飾りが目に入りました。「運命は偶然の問題ではなく、選択の問題だ(Destiny is not a matter of chance, it is a matter of choice)」と書かれています。アメリカの政治家ウイリアム・ブライアン(William Jennings Bryan)のことばで、ヘルベルトが座右の銘にしていることばだそうです。タイルは自分で作ったと言います。
運命は偶然が支配するのではなく、自分の選択にかかっている。まさにヘルベルトの生き方そのものを表しているように感じました。
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それから2年後、ヘルベルトは80歳で亡くなりました。