私のカルチェラタン:新任教師のパリ研修 14
8月29日(月)
「フランスに来て初めて自分はフランスの風土気候のいかに感覚的であるかを知った」
永井荷風が「ふらんす物語」の中で書いている言葉だが、私も今まさに同じことを感じている。フランスではすべてが感覚的に思われた。
私のパリ生活も最後になった。この1カ月あまりそれまでとはまったく異なる世界で生活し、いろいろなことを体験した。そしていろいろ考えた。思索の日々だった。私の人生の中で貴重な体験になるだろう。
そもそも人が旅に出るというのは日常から離れた世界に身を置いて、新しいものを見たり、聞いたり、味わったりしながら知識や視野を広めていくことだと思う。同時に自分自身を見つめ直すことでもあるだろう。
今回フランスに来て私もいろいろなものに出会い、自分自身をじっくり見つめ直すことができた。生活の大半はそれに費やされたと言っても過言ではないと思う。公園のベンチに座っている時も、街角のカフェでコーヒーを飲んでいる時も、観光客でにぎわう街中の通りを歩いている時も常に何かを考えていた。外国という日本から遠く離れた場所で自分を客観的に見つめ直す時間を持てたことはすごく有意義だった。今回の旅を自己省察の旅にしたいと最初に書いたが、私のその目的はある程度達成できたような気がする。
明日はいよいよ帰国の途に就く。帰りはアンカレッジ経由で日本に向かう。往路の南回りはそれなりに楽しかったが、帰りはやはり速い方がいい。
8月30日(火)
いよいよ帰国と思ったが最後に一波乱あった。オルリー空港でチェックインしようとしたとき帰国便が到着していないいうのだ。私たちの乗る飛行機はロンドンのヒースロー空港から来ることになっていたのだが、ヒースロー空港でストライキが行われたため離発着がストップしているという。寮を出るまではそんなことまったく知らなかった。帰路は添乗員がおらず各自で搭乗手続きを行うことになっていた。カウンタでパキスタン航空のスタッフとあれこれやり取りしたがなかなか埒が明かない。20分近くやり取りした結果、その日はオルリー空港近くのヒルトンホテルに宿泊し、翌日の便に乗ることになった。費用はすべて航空会社持ちだ。
でも私には困ったことがあった。9月1日から2学期が始まるからだ。私は8月31日に帰国して翌日から仕事に出るつもりでいたが、これだと日本に着くのは9月1日になってしまう。私は学校に連絡し事情を説明した。電話に出た教頭は「しかたがないね」と言ったが「若いのにしょうがないヤツだなあ」と思っただろう。だが私としてもどうすることも出来ない。腹を括ってその日はホテルで最後のパリを楽しもうと思った。それまで寮の固いベッドで寝ていた私にとってヒルトンの柔らかいベッドは心地良かった。ふとベルサイユの「王妃のベッド」が思い浮かんだ。
翌日の帰国便はシャルル・ド・ゴール空港からの出発だった。オルリー空港からシャトルバスでシャルル・ド・ゴール空港に行き、無事に帰国便に搭乗したときはほっとした。
マダムシャネルの香水も
ノートルダムの鐘の音も
私をこの町に引き留めることはない
パリの思い出をいっぱい持って
日本に帰ろう
私のパリでの夏が終わった。
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