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パリに生きる娼婦たち

同じ作品を歳を重ねてから改めて鑑賞すると、以前とは違う印象を持つことがあります。特に、背景となる知識を得て鑑賞すると。

描かれていたのは私のまったく知らない世界でした。鹿島茂著『パリ、娼婦の館』(2010)と『パリが愛した娼婦』(2011)です。いずれも角川学芸出版から出版されています。(『パリ、娼婦の館』はその後『パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ』(角川ソフィア文庫)に改題ました)

著者の鹿島茂氏は1949年生まれのフランス文学者。東京大学大学院人文学研究科博士課程修了したあと大学で教鞭を取りながら研究を続け、エッセイストとしても活躍しています。著書も多数あります。

冒頭の2冊は、19世紀のパリに生きる娼婦の世界を描いた本で、様々な文献からの引用を交え、詳しく解説しています。私がこれらの本を読もうと思ったのは、エミール・ゾラの作品を読み返してみようと思ったからです。19世紀フランスを代表する作家ゾラは数多くの作品を残していますが、私は『居酒屋』と『ナナ』しか読んだことがありませんでした。それも10代のときです。正直言ってよく理解できませんでした。おそらく時代背景が理解できていなかったからだと思います。特に『ナナ」の主人公は娼婦です。娼婦のことなど何も知らない10代の私が理解するには無理があります。「消化不良」のまま何年も過ぎ、ここにきて改めて読んでみたいと思うようになりました。背景となる知識を得た上で。

出版社の書籍紹介には以下のように記されています。「19世紀のパリには。夜の闇に光る赤いネオンサインで、男たちを誘う娼婦の館があった。メゾン・クローズ(閉じられた家)とは、どのような場所だったのか。そこに集う娼婦や紳士たちは、いかなる饗宴を繰り広げていたのか。数々の文学作品や歌劇の中で妖しく魅力的に描かれてきた娼婦たちの真実と、これまで明らかにされることのなかったメゾン・クローズの深部に迫る。貴重な写真や資料をもとに社会を読み解く、画期的な文化論!」

19~20世紀パリの風俗史としても興味深いです。「メゾン・クローズ」と呼ばれていた売春宿での娼婦たちの世界を知ることができますし、彼女たちの奢侈への願望も当時の社会背景と絡めて綴られています。鹿島氏は、娼婦という存在は資本主義の進化と関係していると言います。つまり、資本主義が加速して都市化が進むと娼婦は急増し、資本主義が爛熟し過ぎると逆に娼婦の数が減り始めます。だから女性の社会進出が著しい社会では娼婦は減少します。

ゾラが作品で描いていた19世紀から20世紀前半、パリの街には娼婦が多くいました。その頃のパリは資本主義社会が発展し始め、モノが社会にあふれる時代でした。その結果、モノの氾濫に晒された女性の物欲も肥大化していきます。そうした中、仕事を持たなかった「専業主婦」のセレブマダムがモノを手に入れようとすると頼るのは「亭主の財布」です。でも、「亭主の財布」も無尽蔵ではありません。そこで出現するのがセレブマダムたちの「隠れ売春」です。カトリーヌ・ドヌーヴが映画『昼顔』で演じたあのマダムです。私も若い頃この映画は何度か見ましたが、そうした背景は理解してはいませんでした。一方、お針子や女中など低賃金労働に従事していた貧しい女性や、仕事もなく「亭主の財布」にも頼れない民衆階級の女性が物欲に対応するには娼婦になるしかありませんでした。こうしたことから19世紀から20世紀フランスの娼婦の世界を描く鹿島氏の本は「社会と売春の関係」を探求する研究書のような一面も持っていると言えます。

『パリ、娼婦の館』 目次

大きな赤い番地の光
博士の異常な執念
隔離された女たち
メゾン・クローズの女将の条件
良い娼婦とは何か?
娼婦を調達する方法
娼婦のトレード
裏方に回る娼婦たち
スカウト最高の「漁場」
快楽を味わうためのインテリア
夜の万博「シャバネ」
大人の遊びを楽しむインテリア
「ロココ的快楽」を競うメゾン・クローズ
新興勢力「ワン・トゥー・トゥー」
ドアを閉じる時がきた


スファンクス
高級店の標準装備
愛と苦しみの部屋
鑑賞と選別
大衆店と重労働
メゾン・クローズの日本人
風俗ガイドブックの誕生
メゾン・クローズの日常生活
メゾン・クローズに赤い灯がともる
メゾン・クローズと自由
いかに彼女は娼婦になりしか?
AVギャルの先駆者たち
メゾン・クローズとレスビアン


娼婦と愛人
娼婦登録制度
娼婦と性病


モーパッサンが描いたメゾン・クローズ「メゾン・テリエ」
ジャン・ロラン『メゾン・フィリベール』
メゾン・フィリベールの娼婦たち
メゾン・フィリベールの運命

あとがき

『パリが愛した娼婦』 目次
はじめに

売春と資本主義
愛の共同幻想体としてのブラスリ
メゾン・ド・ランデヴーと人妻
なぜ、売春をしてはいけないのか
歩き回る私娼たち(グラン・ブールヴァール)
盛り場と私娼(パレ・ロワイヤル)
私娼たちの聖地(パサージュ)
ハンカチ屋と娼婦


日本人が探訪した魑魅魍魎の世界
日本男性の欧米歓楽街案内
一九二〇年代パリの出会い系サイト
完璧なパリ歓楽案内


娼婦の家計簿
「高級」娼婦の家計簿
高級娼婦への道
娼婦の「向上心」
入口男とバイパス女
男の破滅願望と高級娼婦


ヒモの存在
ヒモはなぜ必要なのか
愛の証明
ヒモつきの娼婦とメゾン・クローズ
女衒という存在
取り持ち女の仕事
社交界・半社交界の女衒たち
高級娼婦と小間使い


ブローニュの森の貴婦人たち
パリ売春地図
娼婦たちの営業活動
飾り窓の女
メゾン・クローズに幕をひいた娼婦

今回これらの本を読んでからゾラの作品を読み返してみました。すると10代の頃とは印象がまったく異なることに気づきました。私自身が人生経験を積み重ねたということもあるでしょうが、やはり背景となる知識を得たうえで読めば理解が深まるということがわかります。文学や絵画、映画などは歴史的背景や描かれた時代のようすなどを理解した上で鑑賞することが大事だと感じます。鹿島氏も「フロベールやゾラ、プルーストを読むのに、高級な娼館や高級娼婦のことを知らないで済ますことはできない」と断言しています。『昼顔』も今なら違う味わい方ができるかもしれませんし、ドガやロートレックの絵画も印象が異なるかもしれません。再び鑑賞する楽しみができました。



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