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手掘りのトンネルに感じる人間の力

豪雪地帯として知られる新潟中越地方の長岡市山古志地区。19年前の中越大震災で多大な被害を受けた地区ですが、ここに全長1kmの手掘りのトンネルがあります。昭和の初めに16年の歳月をかけて人力だけで掘られた「中山隧道」です。手掘りのトンネルとしては日本一の長さと言われています。

新潟県のホームページには以下のように紹介されています。

 現在の長岡市山古志小松倉地区が古志郡東竹沢村小松倉であった頃、この地区は二十村郷と呼ばれた古志一帯の中で一番奥に位置していました。

 小松倉地区から近くの街までは長岡市街地へ約20km、小千谷市へ約15km、魚沼市(小出)へは魚沼市水沢新田を経由して約12kmでした。どの街へ行くにしても峠越えをしなければいけないため、小松倉地区の人々は生産した米、養蚕品、薪炭などの搬出、あるいは生活物資、医療、祭事の受け入れなど生活の大部分を最短距離の魚沼市(小出)に依存していました。

 しかし、小松倉から魚沼市に行くためには中山峠という大きな峠を越えなければならず、しかも、この峠道は4km以上あり、道路も整備されていなかったため、冬は吹雪により遭難する人が後を絶ちませんでした。

 「この峠には隧道が必要だ」とその必要性を感じていた人はいましたが、具体的にこの峠にトンネルを開ける話が出たのは昭和7年のことです。あまりのスケールの大きさに初めは相手にされません

でしたが、主な発起人たちの熱心な努力が実り、昭和8年11月12日「鍬立(くわたて)式」と呼ばれる起工式が行われ、工事が始まりました。

 工事には小松倉の人たちが交替で従事し、ほとんどの資金は地区の人たちの寄付や土地等の売却代金で調達し、ツルハシとシャベルで掘り、土砂は地車(丸太の車輪に箱を乗せたもの)で運び工事を始めました。以後16年の歳月を費やし、「中山隧道」と呼ばれるトンネルが人の力だけで掘られたのです。現在でも、掘削当時のツルハシやノミの跡が残る貴重な隧道です。

 普通は、新しいトンネルができると用のなくなった古いトンネルは閉鎖しますが、この貴重な隧道をなんとか保存したいという地域の皆さんの熱意もあって、補強工事を実施して保存することになりました。

新潟県のホームページより

先日この隧道を訪れました。ツルハシのあとが壁にくっきりと見え、機械を使わず人間の手で掘ったという事実に大きな衝撃を受けました。1998年に新たなトンネルができ、隧道は今は使われていませんが、入り口から70メートルのところまでは入って見学できます。


トンネルの入り口↓

左が現在のトンネル。右が手掘りのトンネルで、現在は使われていません↓

トンネルを入ったところ↓


壁に水がしみ出しています↓

奥の方に行くとヒカリゴケがありました↓

途中で立ち入り禁止となります↓

掲示されている解説↓

トンネル完成当時の写真が貼られていました↓

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