[キラキラ老人」にならなくたって...
「いろいろやるんだけど何やってもパッとしなくて。私このまま枯れていくような気がする」
友人がポツリとそう言いました。「草笛光子さんや角野栄子さんみたいなキラキラ老人を目指しているんだけど」とも言います。彼女は私より年上で70代。定年までバリバリ仕事をしてきた人で、数年前に両親を看取ったとき「これから自分の好きなことができる」と嬉々としていたのですが。
「輝く高齢者」という言葉に最近よく出会います。メディアでもキラキラ輝いているシニアがたくさん紹介されています。老後を充実させるためのアドバイスも溢れています。そうした情報を求めている人が多いということなのでしょう。でも同時にそうした情報に影響され過ぎている人も多いように感じています。他の人の生き方を参考にすることは否定しませんが、危険も潜んでいるように思います。「自分は輝いていない」と落ち込んだり、「こんなはずじゃなかった」「私にはもっと可能性があるはずなのに」と嘆いたりする人がいるからです。友人もその一人なのかもしれません。中には輝いて見える人を羨んだり妬んだりする人もいます。
そもそも「輝く」の定義があいまいです。社会で活躍していることでしょうか、仕事を続けていることでしょうか、趣味や旅行などで生活を楽しんでいることでしょうか。健康で元気なことでしょうか。何をもって「輝く」というのか私にはよく分かりません。
年をとっても仕事や趣味に生きがいを持って取り組むことは大事だと思いますし、それを実践している人はたくさんいます。でもだれもが同じようにできるわけではありません。メディアで紹介される人はほんの一握りの人たちで、特別な人たちのように思います。ポジティブに生きる人たちばかりが紹介されていますが、大多数の高齢者は「キラキラ老人」からは程遠いのではないでしょうか。それに他人からはキラキラ輝いているように見える人だって実際のところはわかりません。そう見えるだけかもしれません。本人がどう思っているかもわかりません。人には言えない苦労もあるのではないでしょうか。
草笛光子さんや角野栄子さんがキラキラ輝いて見えるのはそれなりの努力をしておられるからでしょう。特別な才能や能力、それにお金もあるでしょう。表面的な部分だけを見て「私だって」と思うのはどうかなと思います。友人にそう言うと「それはわかるんだけどね~。でも何か自分だけ取り残されているような気はしちゃって…」 と言いました。
年をとればだれもが衰えていきますし、それまでできたことができなくなっていきます。私もできなくなっていることはたくさんあります。でも「キラキラ老人」にならなくたって人生を豊かにすることはいくらだってできると思います。老化には個人差がありますし、輝き方は人それぞれ。メディアの情報に振り回されず「人は人、自分は自分」という気持ちを失わないようにしたいと思います。